平成23年6月7日(火)~ 7月24日(日)
ポスター「少年戦車兵募集」 (昭和17年) |
少年兵
壺井栄の『二十四の瞳』には、主人公の大石先生が、1年生から6年生まで受け持った少年たちの半分以上が軍人志望であることを、母親に歎く場面があります。この少年たちは大正10(1921)年生まれで、昭和3(1928)年4月に小学校入学。昭和9年3月の尋常小学校卒業を前に大石先生に語った将来の夢でした。国民学校の時代には、この傾向はより顕著になります。
軍隊では、軍艦の取扱や潜水艦の音の聴き分け、戦車や航空機の整備などの特別な技術が必要な職務については、年少のうちから訓練した方がよい、という考えがありました。海軍の飛行予科練習生(昭和4年~)、陸軍の少年飛行兵(昭和8年~)、少年戦車兵(昭和14年~)などが代表的なもので、現在の中学生から高校生の年齢に相当する少年たちが志願しました。
千人針
女性たちが出征する兵士のために1針ずつ布に1000個の結び目をつくる千人針は、昭和10年代にさかんに行われました。原則は、1つの千人針に対して、1人で刺すことができるのは1針でしたが、寅(とら)年生まれの女性は、年齢の数だけ結び目をつくることができました。トラは、1日で1000里を行き、1000里を還ると考えられていたことから、強いトラにあやかって、兵士の帰還を祈ってのことでしょう。また、五黄(ごおう)の寅年生まれ(運勢判断の九星(きゅうせい)のなかで五黄は運気が強いとされ、日本では五黄の寅年生まれの人は特に運気が強いという俗信がある)の女性は、年齢×2の数を刺すことができたそうです。大正3(1914)年と明治11(1878)年がそれにあたります。
「少国民」のなかでは、昭和13年(1937)生まれが寅年です。昭和13年生まれの少女たちは、国民学校に入学したて、あるいは入学以前から、自分の年齢の数だけ千人針を刺していました。
(太田暁子)