平成23年7月20日(水)~ 9月11日(日)
(2)雰囲気が変われば 酒も変わる
「直会」と書いて「なおらい」と読みます。直会とは「祭に参加した人たちが、供物をさげて食べる宴(うたげ)、また祭が終り神事の禁忌(きんき)から解き放される解斎(げさい)と慰労(いろう)の宴」(『日本民俗辞典』吉川弘文館)のことを指します。この言葉がよく使われる場の1つが宮座(みやざ)です。主に農村部でみられる神仏の祭祀(さいし)に携(たずさ)わる組織のことです。福岡市でも宮座をもつところは多く、氏子の中でも特定の家によって営まれてきた歴史があります。宮座の収穫祭は、拝殿または当番の家(「宿(やど)」)に座を設けて、神職によって祭典が行われます。神饌(しんせん)と呼ばれる、その年に収穫された米や野菜などの供物を神前に供え、祝詞(のりと)や玉串奉奠(たまぐしほうてん)を行った後、神饌を下げて盃事(さかずきごと)に移ります。ここからはじまる一連の盃事を一般的に「直会」と呼んでいます。盃事の途中で「頭渡し(とうわたし)」という、今年の当番から来年の当番に役割を引き継ぐ儀式があり、その後は飲めや飲めやの無礼講(ぶれいこう)の酒宴となります。神に神饌を供え、収穫への感謝と来年の豊作を祈願し、神が食したものを共にいただく神人共食(しんじんきょうしょく)という古くからの祭の姿を伝えているものです。
宮座の多くは、祭典を行った後、参加者が決められた席へ着座(ちゃくざ)し盃事になります。盃事の前に「熨斗だし(のしだし)」や「お茶だし」といった行事が含まれているところもあります。盃事は神前に供えた神酒(冷酒(ひやざけ))を土器(かわらけ)と呼ばれる盃でいただきます。土器は全員に回ります。
例えば、南筑後の宮座では、膳(ぜん)に手をつける前に「お謡(おうたい)があります。宮司、当番(「座元(ざもと)」)、来年の座元(「受前(うけまえ)」)の順に一番を唱和(しょうわ)するごとに三つ組の盃に注がれた神酒(冷酒)を3口でいただき、それを終えて膳に手をつけます。「頭渡し」では、今年の当番と来年の当番が向かい合い、酒を互いに取り交(か)わすことで、当番の役目を次に譲(ゆず)り渡すことになります。この時の酒は絶対に飲むべきものとされ、飲めない場合は介添(かいぞ)えを置きます。
冒頭(ぼうとう)で直会が、神事のための潔斎(けっさい)を続けてきたことから解放され日常の生活に戻る宴のことと説明しましたが、その説明と宮座における直会の様子が一致(いっち)しているのか疑問(ぎもん)があります。
ここで注目すべき点は、まず「頭渡し」までの参加者の立ち振る舞いです。この間全員が足を崩さず正座、加えて無言で過ごしています。ところが「頭渡し」が終わり、燗酒(かんざけ)が膳に出されはじめると、途端(とたん)に足を崩(くず)し、袴(はかま)の紐(ひも)を緩(ゆる)めたりするなど、張り詰めた雰囲気が一気に和らぎ、祭の準備や農事の話が語られます。
次に「頭渡し」までは、その場に入れる者が制限されます。酒の世話役も子どもが酒の分配人として一切の酒を取り仕切ります。しかし、「頭渡し」を終えると、分配人は参加者やその家族へと交替していきます。また、酒の種類も燗酒の他に近年ではビールなど思い思いの酒が飲まれます。宴が更に進むと、いつの間にか服は普段着になっており、皆が部屋の中央にくつろいだ姿勢で輪になって家族の事や色恋話に花を咲かせています。酒器も、もはや盃から1つの猪口(ちょこ)や湯呑みに取って代わられ、互いにさしあって飲まれています。
こうして見ると、直会にもいくつかの段階があることが分かります。祭典後の盃事や「頭渡し」までは「直会」というよりも宮座の儀式として捉(とら)えることができ、それを終えてはじめて直会となるのかもしれません。
(3)酔うが良いか、酔わぬが良いか
先ほど紹介した宮座では、直会1時間で11本の1升酒瓶(びん)があくことも珍しくありません。顔は真っ赤になり、千鳥足(ちどりあし)で歩く姿もあれば、「宿」の家で眠ってしまう人もいます。特に、日本有数の酒どころである筑後から佐賀にかけては、大いに酒を飲んで酔い、長居することが良しとされます。これは、同じ盃で飲み合うだけでなく、過ごした時間の長さが、付き合いの深さを示すという考え方によるものと思われます。また、佐賀では鍋島氏の倹約(けんやく)思想の影響で、特別な日だけは日常から解放しようとする考え方が体現したものともいわれます。
一方、博多では、宴会が終わり「博多祝い歌」、そして博多の手打ちである「手一本(ていっぽん)」を入れた後は、さっと座を辞(じ)することがルールとなっています。結婚式などの祝いの席では、「立ち土盃(たちかわらけ)」といってまだ、飲み足りないという人、祝いの席なので満足して帰ってもらいたいが、もう手一本を入れてしまったという場合などに、酒の強い人を選んで立ったまま酒を飲んでもらう作法があります。そうすることで手一本を入れた人、主催者、招待客それぞれの立場を尊重し満足してもらえるわけです。これらの所作は、人と人の関係性を重んじる博多の気風や精神性を体現したものといえます。
日常から人との関り合いを大事にして、良好な関係を築いている博多の人ですが、人間失敗もしますし、付き合いもいつも上手くいくわけではありません。そうした何かしらのもめごとが起こったとき、お互いがとても緊張した関係になってしまうでしょう。そこで博多では、そうした事態をある方法で解決しているのです。
山笠では、「時間を切る(遅刻する)ときは酒2升、町内で断りをするときは酒2升、町内でなにかをお願いするときは酒3升」という申し合わせがあるところもあります。つまり酒を贈ることで緊張した関係を円滑(えんかつ)に戻すというわけです。事によっては「数え切れないほどの酒が行き交った」と表現される場合もあり、酒の贈与が問題を解決するのに有効に働いていたことが分かると同時に問題の本質を酒の量に言い換えることによって、問題そのものを薄れさせるという効果になっています。これがまさに、「博多んもん」の生活の知恵といえます。
(河口綾香)