平成23年8月16日(火)~ 9月19日(月・祝)
図版① 遊女図(部分) |
◆和の美人
図①は、掛幅(かけふく)に描かれた小袖(こそで)(江戸時代のキモノ)姿の女性です。何も描き込みのない無地を背景に、女性は右斜めから見た姿に描かれています。右手はふところに納めて、左手は小袖の褄(つま)をとり、裾(すそ)からは素足の右足先がのぞいています。結った髷(まげ)の根元にさす櫛はべっ甲、重ね着した小袖の内側は、胸に菊の伊達紋(だてもん)、裾にイチョウを配した藍(あい)色で、胸高に花唐草(はなからくさ)文様の萌葱(もえぎ)色の帯を締め、外側は、肩・腰・裾に分かれる3つの区画を設け、肩には桐入りの襷(たすき)文様、腰は茶地に鹿子絞(かのこしぼり)の粒をつらねた千鳥(ちどり)、裾は白地に藍で秋草をあらわします。
作者は西川祐信(にしかわすけのぶ)(1671~1750)とされます。祐信は、京都で活躍した絵師(えし)で、17世紀末から浮世草子(うきよぞうし)などの版本の挿絵画家として人気を博し、小袖のデザインブックといえる「小袖雛形(ひながた)」も手がけました。また、この絵に見られるような、華やかに装った美しい女性の姿を描いた肉筆画(にくひつが)にも優れた腕前を発揮していました。とくに女性の装身具や衣服のリアルさは、小袖のデザインにたずさわった「現場感覚」を活かした祐信ならではのものです。
図版② 朧月夜の君図(部分) |
図版④ 柳桜唐美人図(部分)図版③(④に同じ) |
祐信の描く女性像は、特定のモデルがいる肖像ではなく、また、何かの物語の登場人物でもありません。うるわしい容色、ファッショナブルな装い、心ひかれる仕草(しぐさ)を品良く描き出した、ひたすら観る人の「目の保養」や「眼福(がんぷく)」をねらった女性像です。このような目の心地よさに価値をおいた女性の絵姿、すなわち「美人画」があらわれたのは、江戸時代に入ってからと考えられています。もちろん、それまでも美しい女性を描いた絵画はあまた存在しましたが、それらは、肖像であったり、物語の一場面であったりしました。例えば図②は、西川祐信より40年ほど前に生まれた住吉具慶(すみよしぐけい)(1631~1705)の作品で、『源氏物語』に登場する朧月夜(おぼろづきよ)の君(きみ)を描いたものです。長くたらした黒髪、赤い袴(はかま)に何枚も衣をかさね着した姿は、当然ながら同時代の女性の装いを描いたものではありません。この絵を観る人が楽しんだのは、女性の容貌の美しさのみならず、平安時代以来の時代がかった女房装束が醸し出す「王朝のみやび」だったはずです。
モデルやストーリーといった要素を盛り込まない女性の絵姿のはじまりは、屏風(びょうぶ)などの大きな画面において、広やかな野外や邸宅を舞台に、心おどる楽しい遊びやイベントに興ずる人物を、所狭しと大量にこまごま描き込む、近世初期風俗画にあったと言われています。パノラマみたいな画面の小さな一部分であった「お座敷で舞を舞う遊女(ゆうじょ)とそれを観るお客」といったシーンがだんだんクローズアップされ、さらに画面の中からお客が消え、遊女の舞姿だけが具体性のあまりない背景のうえに描かれるようになり、17世紀半ばすぎ、「美人画」は成立したと考えられます。以来、単独の美しい女性の絵姿は描き継がれ、また、浮世絵版画の大きなテーマにもなって、1枚ものの肉筆画を注文制作できるような金持ちばかりでなく、広く庶民の目を楽しませるものとなりました。