平成24年7月3日(火) ~9月30日(日)
展示資料(資料名/出土遺跡)
- 1 『日本書紀』・『筑前国続風土記拾遺』
- 2 須恵器/比恵遺跡群8次
- 3 石室内出土遺物/東光寺剣塚古墳
- 4-1 円筒・朝顔・形象埴輪/東光寺剣塚古墳
- 4-2 人物・馬・朝顔形埴輪/東光寺剣塚古墳
- 5 土師器・須恵器・取瓶/那珂遺跡群114次
- 6 円筒埴輪/那珂遺跡群23次
- 7 須恵器・土師器・軒丸瓦・平瓦/那珂遺跡群22次
- 8 軒丸瓦・平瓦/那珂遺跡群23次
- 9 軒丸瓦・丸瓦/那珂遺跡群32次
- 10 軒丸瓦/那珂遺跡群34次
- 11 軒丸瓦・丸瓦/那珂遺跡群13次
- 12 丸瓦/那珂遺跡群115次
- 13 木製櫛・履物/那珂君休(くんりゅう)7次
- 14 耳環・鉄鏃/東光寺剣塚古墳(周溝)
- 15 蠅囲蛹殻(はえいようかく)付着鉄製品/那珂遺跡群129次
- 16 馬骨(頭部)/那珂遺跡群22次
- 17 有溝把手付土器/那珂遺跡群35次・有田遺跡群142・143次
- 18 須恵器・平瓦・丸瓦/那珂遺跡群114次
- 19 軒丸瓦/那珂遺跡群13・32次
- 20 軒丸瓦・鴟尾(しび)/那珂遺跡群34次
- 21 柱材(イスノキ)/那珂遺跡群117次
- 22 獣脚円面硯(じゅうきゃくえんめんけん)/那珂遺跡群21次
- 23 百済土器/堤ヶ浦(つつがみうら)古墳群12号墳
- 24 高句麗土器/博多遺跡群17次
- 25 畿内系土師器・須恵器/博多遺跡群169次
- 26 新羅土器・畿内系土師器/博多遺跡群33次
- 27 新羅土器/鴻臚館跡20次
- 28 ヘラ書き文字瓦/ 井尻(いじり)B遺跡17次
1・4-2は福岡市博物館、15・25は福岡市埋蔵文化財調査課、それ以外は全て福岡市埋蔵文化財センターの所蔵です。
「那津官家と激動の東アジア」関連年表
西暦 | 年号 | 事柄 |
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527 | 継体21年 | 6月、磐井の乱起こる。 |
528 | 22年 | 11月、物部麁鹿火(もののべのあらかい)、御井郡(みいのこおり)(福岡県三井郡)で磐井と交戦、磐井を斬る。 |
12月、磐井の子筑紫君葛子(つくしのきみくずこ)、糟屋屯倉(かすやのみやけ)を献上し死罪の免除を願う。 | ||
536 | 宣化元年 | 那津のほとりに官家を建て、筑紫・肥(ひのくに)・豊(とよのくに)3国の屯倉の稲穀を分かち移させる。 |
537 | 2年 | 大伴磐、狭手彦を加耶(かや)に派遣。磐は筑紫に留まりその国政をとって三韓に備えた。 |
556 | 欽明17年 | 阿部臣(あへのおみ)らに筑紫国の軍船を率いさせ、百済の王子恵を護衛して送り届けさせる。別に筑紫火君に勇士1千を率いさせて百済を救援する。 |
562 | 23年 | 新羅(しらぎ)が加耶を滅ぼす。 |
591 | 崇峻4年 | 紀男麻呂宿禰(きのおまろすくね)らを大将軍として、2万余の軍を筑紫に派遣。 |
593 | 推古元年 | 厩戸皇子(うまやとのおうじ)(聖徳太子)、推古天皇の政を摂(と)る。 |
600 | 8年 | [隋書]倭の使者隋(ずい)に至る。 |
602 | 10年 | 2月、来目皇子(くめのみこ)を新羅攻撃の将軍とし2万5千の兵を授ける。 |
4月、来目皇子筑紫到着。嶋郡(しまのこおり)に駐屯し、船舶を集め、兵糧を運ぶ。 | ||
607 | 15年 | 7月、小野妹子(おののいもこ)を隋に遣わす。 |
608 | 16年 | 4月、小野妹子、隋使裴世清(はいせいせい)を伴い筑紫に到着。 |
6月15日、裴世清一行、難波津(なにわのつ)に到着。 | ||
9月、再び小野妹子を大使として、隋に遣わす。 | ||
609 | 17年 | 4月、筑紫大宰(ちくしのおおみこともち)が百済(くだら)からの漂流民来着を奏上。(筑紫大宰の初見) |
618 | 26年 | 隋滅亡し、唐(とう)建国。 |
645 | 大化元年 | 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)、蘇我蝦夷(そがのえみし)・入鹿(いるか)父子を滅ぼす。(乙巳(いっし)の変) |
660 | 斉明6年 | 唐・新羅連合軍が百済の首都泗●(しび)城(扶余(ふよ))をおとしいれる。百済滅亡。 |
661 | 7年 | 1月、斉明天皇、百済復興支援のため救援軍とともに出発。海路に着く。 |
3月、斉明天皇一行、娜大津(なのおおつ)に到着。磐瀬行宮(いわせのかりみや)に入り、その名を長津(ながつ)と改める。 | ||
5月、斉明天皇、朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)に移る。 | ||
7月、斉明天皇死去。中大兄皇子が皇太子のまま政務を執る。 | ||
8月、中大兄皇子、長津宮(ながつのみや)に移る。 | ||
9月、中大兄皇子、百済の王子豊璋(ほうしょう)を護衛して本国へ送らせる。 | ||
10月、中大兄皇子、長津宮を発ち、斉明天皇のなきがらを海路で飛鳥へ送る。 | ||
663 | 天智2年 | 6月、倭の百済救援軍、唐・新羅と戦い敗北。(白村江(はくすきのえ)の戦い) |
664 | 3年 | 対馬・壱岐・筑紫などに防人(さきもり)と烽(とぶひ)をおき、筑紫に水城(みずき)をつくる。 |
注:「●は、シ(さんずい)+比」