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No.407

企画展示室4

比恵(ひえ)・那珂(なか) モノがたり

平成24年8月14日(火) ~12月27日(木)

謎の古墳時代中期 大移動する人々
 古墳時代の前期後半以降になると遺構や遺物の検出例は減少して、一時的に人々の活動が衰退する様子が見られます。他の地域でも同様に衰退傾向が見られますが、原因はよく分かっていません。政治的・国際的な情勢から生じた集落の移動・強制的な移住とする意見もあります。5世紀の後半頃には再び集落が営まれるようになりますが、この時期の住居跡はあまり発見されていません。しかし那珂北東側では円筒埴輪を持つ剣塚北古墳が築造されており、ある程度の大きさの集団が存在していたことが分かります。この頃、比恵・那珂の食料を支える遺跡として東側の那珂君休遺跡(なかくんりゅういせき)では水田が営まれました。

国家に組み込まれた比恵・那珂
 古墳時代後期の6世紀代になると、比恵・那珂の随所に掘立柱建物と竪穴住居が組み合わさる集落が新たに広がりはじめました。これらの集落は発見された地点から幾つかの集団に分けることができますが、いずれも低い場所を避けて眺望の良い丘陵の高所を選んでいるようです。この頃、九州北部では「磐井(いわい)の乱」による動乱があり、その影響は強く比恵・那珂にも及びました。乱を平定したヤマト政権は地方支配の拠点施設である「那津官家(なのつのみやけ)」を北部九州沿岸に設置しました。比恵北西部で発見された建物群は、この「那津官家」に関連する施設と評価されています。比恵・那珂が「奴国」だけではなく国家的にも対外的にも重要な地域として認識されていたことが伺えます。6世紀中頃には、那珂北部に首長墓である東光寺剣塚古墳(とうこうじけんづかこふん)が築造されましたが、同時代の古墳とは異なり、北部九州以外の要素が強く見られるのも特徴です。
 6世紀後半から7世紀前半にかけては、比恵・那珂各所で規模の大きい掘立柱建物の造営が開始されました。これらの建物は基本的に集落以外の丘陵高所を選択して建てられますが、場合によっては集落を立ち退きさせてまで造営を行っているようです。これらの建物群はそれまでの集落の構造と比べ規格性が強いため異質であり、役所的な要素を色濃く持つ存在でした。那珂では、最古期の古瓦などが発見されたことから瓦葺きの建物が存在していたことが分かります。
 7世紀中頃以降になるとそれまでの大型掘立柱建物はなくなり、遺跡の中心は那珂に移ります。那珂を南北に貫く直線的な溝をはじめとして、真北を強く意識した建物やこれを囲む溝等が出現しました。これらの建物のうち存続期間が短い一群については斉明天皇(さいめいてんのう)が造営させた「長津宮(ながつのみや)」に関連する施設ではないかという考えもあります。また、大宰府政庁の前身となる施設があった可能性も考えられています。

律令体制下の比恵・那珂
 8世紀初頭には九州統治のため、最大の官衙(かんが)である大宰府(だざいふ)が設置されました。ほぼ同時期に比恵・那珂の東側をかすめて大宰府から博多湾岸を結ぶ官道(かんどう)(東門ルート)が造営されたことが分かっています。比恵・那珂は、大宰府と博多湾岸沿いに設けられた施設との中間地点付近に位置していますが、官道沿いでは建物などの遺構は発見されていません。調査では官道に並行する道路や真北を向いた道路なども発見されていますが、官道とどのような関連性があるのかは分かっていません。9世紀以降は建物など遺構の検出例は少なくなりますが、重厚な造りの井戸などが確認されています。また、硯・墨書土器などの官人の存在を示す資料なども発見されています。これらの資料から那珂一帯に旧那珂郡を治めた古代の市役所のような郡衙(ぐんが)や寺院などが存在していたことが推定されます。姿や規模は変われど比恵・那珂が引き続き周辺地域の中心地であったことが分かります。

中世以降の比恵・那珂
 古代から中世に時代が移り変わると同時に、人々の暮らしの中心も移り変わったようです。比恵・那珂では数地点で溝によって区画された範囲の中から木棺墓・井戸などが発見されますが、かつての賑わいは感じ取ることができなくなります。木棺墓に副葬された青磁等の貿易陶磁器や備前焼の壺などの大型国産陶器は有力な階層の人々による落ち着きのある暮らしぶりを連想させます。中世後半期以降は、博多に勢力を伸ばした大内氏や大内氏と覇権を争った大友氏家臣団との関連性が指摘されていますが、発掘された資料からはどのような状況であったかは解明されていません。

現在、比恵はオフィス街として、那珂は住宅街として日々姿を変えています。新しい街並みが誕生していく一方で、遺跡が消滅していくことは、忘れ去られがちです。弥生時代から古代まで歴史の表舞台に立ち続けた日本有数の遺跡が徐々に姿を消し、その往時の姿を伝えるのは残されたモノだけになってしまうのでしょうか。
(本田浩二郎) 

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