平成24年10月2日(火) ~12月27日(木)
早期の石鏃と石匙(柏原遺跡) |
縄文時代
寒冷な氷期が終わりに近づいた約一万三千年前には土器が作られはじめ、縄文時代が幕を開けます。縄文時代草創期です。九州では前半に細石刃が残りますが、遅れて小さな三角形の石鏃(せきぞく)が出現し、弓矢の使用が始まりました。石鏃はこれ以降、最も多く出土する定型化した石器で、形を変えながら弥生時代まで使用される代表的な狩猟具です。西区大原(おおばる)D遺跡では焼けた住居跡から石鏃十
本のまとまりが2箇所で出土しています。この時期には,磨製石斧(ませいせきふ)も一般的にみられるようになります。また、磨石(すりいし)や石皿(いしざら)と呼ばれる木の実や肉などを磨りつぶす道具も使われはじめ、生活や生業の変化をうかがうことができます。
縄文時代早期になると、石鏃は基部に三角形の深い抉(えぐ)りを入れた形が多く、一部を磨く局部磨製石鏃(きょくぶませいせきぞく)が加わります。後半には基部の抉(えぐ)りが長方形をなす鍬形鏃(くわがたぞく)と呼ばれる石鏃が特徴的です。また、つまみ状の突起をつくり出した石匙(いしさじ)と呼ばれる石器が出現します。石匙は突起部に紐などを付けて携行した万能ナイフと考えられ、縄文時代を
通して出土する特徴的な石器です。
約6千年前の前期は最も気温が高い時期で、海水面も現在より約2m高かったと考えられています。石鏃は基部の抉(えぐ)りが浅い三角形となり、磨製石斧は薄手で短冊型のものが主体となります。また近年、弥生時代の石斧製作跡として知られる西区今山(いまやま)遺跡で縄文前期から石斧製作が行われていたことが明らかになりました。
中期では側辺を鋸(のこぎり)歯状に仕上げる石鏃が西北九州に特徴的ですが、市内ではまとまった例がなく、後期始めの有田(ありた)遺跡や南区野多目(のため)遺跡にみることができます。
後期中頃になると石器に変化が現れます。伊万里市腰岳産の黒曜石を使って縦に長い特徴的な剥片を剥はぎ出す技術が顕著になります。これを刃として使い、また先端を折って細かな整形を施さない剥片鏃(
はくへんぞく)と呼ばれる石鏃が作られました。早良区四箇(しか)遺跡などが代表的な遺跡です。また、磨製石斧(ませいせきふ)と打製石斧(せいせきふ)が増加してきます。磨製石斧は東日本から伝わった基部が小さく全体に厚みのある乳棒(にゅうぼう)状の磨製石斧が目立つようになります。伐採具と考えられることから、木を切って周辺を開発したことを示す可能性が指摘されています。打製石斧は、土
を掘る道具と考えられ、根茎(こんけい)類の採集に使用し、さらに畑作を行ったのではないかという意見があります。縄文時代の農耕に関わるだ
けに今後の研究課題となっています。
旧石器時代から縄文時代の代表的な石器を見てきました。石器は狩猟・伐採・加工など人々の動作と結びつく場合が多く、より生業や社会を示す遺物です。小さな石ころですが、じっくり向かい合うことで過去の人々の暮らしが見えてきます。
(池田祐司)