平成25年4月2日(火)~12月8日(日)
黒田長政像(史料1) |
黒田家資料について
福岡市博物館の重要なコレクションの一つに、旧福岡藩主黒田家に伝来した黒田家資料があります。藩祖・黒田孝高(官兵衛・如水)、初代藩主・長政(図1)に始まり12代長知(図3)にいたる、歴代藩主ゆかりの重宝です。
これらは、昭和53年(1978)9月、黒田家第14代当主・黒田長禮氏の遺志にもとづき、茂子夫人より福岡市にご寄贈いただきました。国宝「金印」や、黒田節でおなじみの名槍「日本号」も黒田家から寄贈を受けたものです。
当初は福岡市美術館にて展示公開されましたが、平成2年10月、福岡市博物館の開館にともない、美術資料を除く大部分が博物館に移管されました。展示室の一室を黒田記念室と命名し、黒田家資料の国元移管を顕彰しています。博物館では展示公開のみならず、図録『黒田家の甲冑と刀剣』、史料集『黒田家文書』第1巻~第3巻の出版等、文化財として広く活用しています。長禮氏は生前「黒田家什宝は、美術工芸品であっても、郷土福岡との関連において役立てるべき歴史的文化財である」と語られたそうです。
現在、福岡市博物館では、①国宝「金印」1顆、②刀剣類73件、③歴代藩主所用甲冑39件、④絵画58件、⑤書跡24件、⑥絵図58件、⑦武芸書20件、⑧その他83件、⑨古文書3千件余を収蔵しています。
「福岡」を創った黒田家
慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の手柄によって黒田長政は筑前の大半を領することになりました。一般に「黒田五十二万石」といわれますが、これは2代藩主忠之の時代に打ち出された石高で、支藩の秋月藩5万石、東蓮寺藩4万石を合算した数値です。
黒田家は当初名島城(福岡市東区)に入りましたが、要害としては優れているが城下は偏狭で平安の世の治政には不適として、翌年から孝高・長政父子は福崎の地に新城を築き、先祖の故地・備前福岡(岡山県瀬戸内市)に因んで福岡城(福岡市中央区)と名付けました(図2)。「福岡」の名称はここに始まります。慶長7年正月に太宰府天満宮に奉納された如水公夢想連歌の冒頭には「松梅や末永かれと緑立つ、山よりつづく里は福岡」と詠まれています。黒田家が当地の藩主とならなければ福岡の地名は誕生しなかったのです。
本展では、黒田家資料のなかから、歴代藩主の武具・甲冑を始め、絵画・古文書等、黒田家ゆかりの品々を時代を追って順次紹介していきます。(堀本一繁)
慶長御城廻御普請絵図(史料7) | 黒漆塗桃形水牛脇立兜・紺糸威胴丸具足(史料41) |