平成25年12月17日(火)~平成26年3月9日(日)
二、ささえあいのカタチ ―妻から夫へ、夫から妻へ―
博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)の時期がくると、仕事をそっちのけで、山笠以外のことに身が入らない人が出てくるそうです。七月十五日の追い山まで、毎日どんなに帰りが遅くても、女性は法被や締め込みを洗濯して、翌日には何事もなかったかのように送り出す日々が続きます。あまりの夫の山笠への入れ込みように、思わず「あなたが出なくても山笠は動く」と文句が出ることもあったようでした。
博多松囃子(はかたまつばやし)や博多祇園山笠などの祭礼をはじめ、町内の出事で家を不在にすることの多い男性に代わり、店や家をきりもりしてきたのは、ごりょんさんと呼ばれる女性たちでした。休むことなく働き続ける妻に、博多の男性たちは、感謝の意味を込め、放生会(ほうじょうや)着物(ぎもん)と呼ばれる着物を贈りました。かつて博多では、秋に行われる筥崎宮(はこざきぐう)の放生会の折に町内、家族総出で弁当やお酒をもって「幕出し」を行っていました。その際に着る着物を新しく新調することで、日頃の苦労に報いたといわれています。
所変わって、玄界灘の海とともに生きる漁師を縁の下で支えてきたのも妻の存在でした。
漁師の仕事着であるドンザは、木綿を何枚も重ねて作った厚手の着物です。ドンザの中には、晴着としての一面を併せ持つものがあり、そこには妻たちの力作ともいえるものがあります。背に、刺し子で波の上を跳ねる兎の様子が描かれたドンザは、姪浜(めいのはま)に伝わる八大龍王の伝説を彷彿とさせます。また、鯛を釣る恵比須神が描かれたドンザには、タコノマクラという、魔除けの文様などが施されており、豊漁と夫の無事を祈る妻の思いが反映しているようです。
東区志賀島の志賀海神社(しかうみじんじゃ)で毎年行われる七夕祭には、海上安全を祈って近隣の漁師が、船に大漁旗を掲げ、家族総出で参拝に訪れます。今では、トンボ帰りする人が増えましたが、参拝後に、船の上で弁当を広げて宴会をしているところもあります。かつて参道に並んだ出店の様子を覚えている女性は、「七夕祭は、志賀島に買い物にいくようなものだった」と話しています。女性たちにとって、家族総出で出かける七夕祭は、慰労(いろう)の意味でもあったのです。
こうして博多の大将(商家の主人)とごりょんさん、漁師の夫と妻の関係をみていると、思い浮かんでくるのが夫婦恵比須(めおとえびす)の存在です。
豊漁・豊作・商売繁盛の神として信仰を集める恵比須神ですが、福岡の玄界灘沿岸部では、夫婦恵比須であることが特徴です。
博多区にある櫛田神社(くしだじんじゃ)では、境内に夫婦恵比須が祀られています。毎年十二月の二日、三日に、夫婦円満、商売繁盛を祈り大祭が執り行われます。
男女の恵比須神が調和して豊漁・豊作・商売繁盛を生む姿は、福岡地方における、夫婦の姿と重なっているように見えます。
三.悩みのかたち―愛憎とまじない―
お互いをいつくしむ気持ちが永遠に続けばいいのですが、人間ですから、そうはいかないこともあります。愛に悩み、苦しむこともあります。時にそれが憎しみとなり、呪いにつながることもありました。
早良区野芥(さわらくのけ)には、於古能(おこの)地蔵尊、と呼ばれる男女の縁切りに霊験あらたかと信仰を集める地蔵が安置されています。地蔵を削り、別れたい相手に知られず飲ませることで縁が切れるというもの。堂内は、縁切りを祈る絵馬や祈願文で埋め尽くされています。現在では、大病や不合格などの縁切りにも効果有りとのことで、全国から参詣者が訪れています。福岡市近郊では、これまでに縁切りのための祈願文や釘を打ち込まれた藁人形も見つかっています。
(河口綾香)