平成27年4月7日(火)~6月14日(日)
福岡藩大老・黒田一成所用具足(No.6) |
平成2年に開館した本館は平成27年度秋に開館25周年を迎えます。本展示ではこの間に収蔵した武具・甲冑の中から、福岡藩士の家に多く伝来した甲冑―当世具足(とうせいぐそく)―を中心に紹介します。室町(むろまち)~戦国という合戦の絶え間ない時代、それまでの弓矢や太刀・刀などからの防御に向いた、伝統的な大鎧(おおよろい)や胴丸(どうまる)という甲冑は、大量生産のためや、槍や鉄砲からの防御力を増すため、さまざまな工夫が加えられ、安土(あずち)・桃山(ももやま)から江戸時代の初めまでには、当世具足というタイプの甲冑に生まれ変わりました。展示では初代藩主黒田長政(くろだながまさ)と父如水(じょすい)が、城下町福岡を建設した時に移ってきた先祖を持つ藩の御抱具足師(かかえぐそくし)の元に伝わった、甲冑の材料や部品、図案などの珍しい資料なども合わせて紹介します。
〈当世具足の造りと特徴 ①当世兜〉
当世具足の兜は、鉄板の幅(間)の広い筋(すじ)兜、星(ほし)兜などが改良され、多くの細い板をつないで、鉄板の重なりが二重の装甲となっている、間数(けんすう)の多い筋兜、星兜がつくられ普及しました。従来の鍬形(くわがた)の前立(たて)に代わり、家紋(かもん)や月星、動物、植物の形など様々な立物が付けられ、個性的になりました。
また兜自体の造りかたも、4~5枚の鉄板を張り合わせてつくる手法が始まり、頭形(すなり)、桃形(ももなり)、置手拭形(おきてぬぐいなり)といった当世兜が造られました。特に頭形兜は大量生産ができ、しかも丸みを帯びて頭部への打撃をそらすことができ、首の回りを守るのしころも隙間なく強化され、多くの武士に普及しました。
〈当世具足の造りと特徴 ②胴の進化〉
変わり兜に合せて、胴も大きな変化を遂げました。まず、当世具足の胴は、立体的で、それ自体がきちんと立つようになりました。その分伸縮性(しんしゅくせい)がないため、多くは前後2枚に分割して、着用するようになりました。また後の旗筒もついて、背旗で武士の家や武勇を示しました。
次いで胴の素材と製法から見る当世具足の特徴をみていきましょう。典型的な胴の造りかたである桶側胴(おけがわどう)は、革や鉄でつくった横板(横矧(はぎ)板)を下から重ねて繋ぎ留めていきます。留め具が鉄の鋲(びょう)の場合は、鋲は頭が潰されて漆(うるし)がかけられ表面から見えないことがあります。革紐(ひも)の場合の綴じ方には、胴の正面からの見た目が互い違いになる菱綴(ひしとじ)と、横に整列する胸目綴(むなめとじ)があります。また伝統的な伊予札(いよざね)を威して革で包んで作った横板や、それらを摸して作った一枚の横板を、繋ぎ重ねるタイプもあり、それらを専門的には縫延胴(ぬいのべどう)と言っています。下腹部を守る草摺(くさず)りには、胴を作る技術が取り入れられました。
〈当世具足の造りと特徴 ③小具足など〉
室町・戦国時代以後の、鉄や布、革といった素材の生産増加や加工技術の進歩に伴い、胴以外を守る小具足にも、進歩がみられました。また重い胴を着やすくし肩を保護する「襟廻(えりまわ)し」、肩から腕を守る袖(そで)や籠(こ)手、腿(もも)を守る「佩立(はいたて)」、臑(すね)を守る臑当(すねあて)など他の防具も、鎖や、漆を塗って固めた硬い革、鉄製の棒などでつくられ、様々なデザインが生まれました。このように当世具足は技術的な工夫が加えられて機能性も向上し、それらすべてを身に着けた武士の全身は、刀や槍はもとより当時の新兵器であった鉄砲にも防御力が高いものになりました。