平成27年6月23日(火)~8月16日(日)
17. 石餅前立金覆輪 |
江戸時代初めまでは、天下(てんか)統一(とういつ)のための合戦もあり、兜と陣笠はまずは戦いで頭部(とうぶ)を守るためのものでした。太平(たいへい)の世になると、従来の使われ方だけでなく、本来の姿とは変わった、その時代に合った用途(ようと)のものとなり、さらに幕末になると新しい兵器(へいき)を使うための新たな被(かぶ)り物(もの)も工夫されていきます。この展示では、これらの兜、陣笠・陣帽などを通じて、福岡藩を中心とした武家の社会・文化や政治・軍事(ぐんじ)の移り変わりを紹介します。
〈変わり兜と当世具足〉
江戸時代の武士の兜は、室町(むろまち)時代以来の伝統的な筋(すじ)兜などに、個性的でユニークな形の立物(飾り)を付けたものや、戦国時代に生まれた当世(とうせい)兜が中心でした。当世兜は工程(こうてい)が簡単で、大量生産(たいりょうせいさん)が可能なうえに、防(ぼう)御力(ぎょりょく)にも優れ、桃形(ももなり)、頭(ず)形、烏帽(えぼ)子(し)形など様々(さまざま)な形が作られました。
太平の時代になると、実際に被る事よりも、家の武勇(ぶゆう)を誇ったりするため、伝統的な筋兜、星(ほし)兜が好まれました。兜の筋が六十二間のものなども出現(しゅつげん)するなど、その制作(せいさく)技術(ぎじゅつ)は進みましたが、装飾的(そうしょくてき)な面もあり、重く実用性(じつようせい)のないものもできました。
〈藩を支えた陣笠たち〉
江戸時代の藩の武士は、人数的には足軽(あしがる)などの下級(かきゅう)士卒(しそつ)や、武士の家に仕える従者などの人々のほうが圧倒的です。藩(はん)直属(ちょくぞく)の足軽部隊は、鉄砲(てっぽう)組や槍(やり)組などに分けられ、簡易(かんい)な具足(ぐそく)と陣笠(じんがさ)を貸しあたえられ戦場に出ました。この陣笠は平たい円錐(えんすい)の形をしており、「陣笠」といえば、彼らの代名詞(だいめいし)でした。
太平(たいへい)の世となっても、円錐形の陣笠は、訓練はもちろん、治安(ちあん)維持(いじ)や、災害、火災などへの緊急出動といった様々な場面で、彼ら被(かぶ)りものとして使われ続(つづ)けました。
〈華麗な火事兜の世界〉
21. 布しころ付二枚鷹羽紋 |
〈武家陣笠の移り変わり〉
福岡藩の上級武士たちは、公用(こうよう)の際には菅製(すげせい)の一文字笠(いちもんじかさ)とよばれ、底が平らな笠を着用しましたが、形はそれと同じで、素材が網代(あじろ)で漆塗りされた、丈夫(じょうぶ)な陣笠も造られました。中に装飾的(そうしょくてき)な物も造られ、武家の武威(ぶい)を競いました。
しかし、江戸時代後期になると反笠(そりかさ)あるいは騎(き)射(しゃ)笠といった端(はし)を反(そ)らし、しかも頭部に密着(みっちゃく)した形に変わっていきました。そして治安(ちあん)維持(いじ)や災害(さいがい)の時の指揮や、激しい動きをする場合に使用され、またしころなどを付けて、火事の出動の際(さい)にも使われました。このタイプも陣笠と呼ばれます。
〈おもしろい簡易防具〉
太平(たいへい)の世には、実際に兜や具足を身に着け、刀や槍をふるう機会はほとんどなくなりましたが、身を守るため、あるいは警備のため鎖帷子(くさりかたびら)や腹巻(はらまき)など簡易(かんい)な武装をすることがありました。陣笠や火事兜なども使われましたが、特に激しい戦いのためには頭部を守るために鉄(てつ)張(はり)頭巾(ずきん)や簡易な鎖帷子用の畳(たたみ)兜などが作られました。福岡藩でも革製陣帽(かわせいじんぼう)なども造られましたが戦国(せんごく)の世の頭形兜に似せて作られているのは、武士の面目(めんもく)がにじみ出ており、興味を引きます。これらは幕末動乱期(どうらんき)には、再び兜(かぶと)や具足などとあわせて使用されました。
〈幕末・維新の新しい陣帽〉
幕末動乱期(どうらんき)になると、武士も再び武装して戦陣(せんじん)や戦場にでました。その中西洋(せいよう)の銃や大砲を使った洋式(ようしき)軍隊(ぐんたい)が作られ、洋式兵器を扱うために新しい戦陣(せんじん)の被り物が工夫(くふう)されました。特に長崎の西洋(せいよう)兵学者高島秋帆(へいがくしゃたかしましゅうはん)が工夫したトンキョ帽(ぼう)といわれる、側頭(そくとう)部の平らで尖(とが)った三角の陣笠や、幕府の代官で西洋兵学者江川太郎左衛門(えがわたろうさえもん)が工夫した韮山笠(にらやまかさ)が有名で、福岡藩でも類似のものが作られました。 (又野 誠)