平成27年8月18日(火)~11月23日(月・祝)
写真1 博多遺跡群107次調査104号遺構 陶製経筒 (福岡市埋蔵文化財センター提供) |
経塚研究最大の弱点
経塚は、平安時代後期(11~12世紀)に法華(ほっけ)経を中心とする仏教経典を地下に埋納した遺跡です。釈迦(しゃか)の入滅後二千年を過ぎて仏教が衰退するのに備えるとともに、弥勒菩薩(みろくぼさつ)が第二の釈迦としてこの世に出現するまで、経典を地下に保存したと一般に知られています。「56億7千万年後の未来に託したタイムカプセル」といわれます。
経塚は、考古学の世界でも早くから研究対象とされてきましたが、多くが開発の及ばない山地に立地し、発掘調査されることは稀です。また出土品は古美術的価値が高く、盗掘されることも多く、出土地・状況の不明なものや贋物(にせもの)まで多く流通しています。その割に一般的注目度は高くありません。
そのような研究上の「弱点・限界」を抱えていますが、すでに知られている資料を改めて見直すことで、今まで気づかなかった事実を引き出すことが可能です。今回の展示は経塚造営の中心地・九州を素材に、近年明らかになった「あまり知られていない経塚の世界」をご紹介したいと思います。
博多にもあった経塚
平安後期の経塚は通常、山・丘陵の頂上や尾根など見晴らしのよい高台に造られます。中には古墳の墳丘上もあり、城南区田島の京ノ隈(きょうのくま)経塚はその代表例です。そのような常識を打ち破る事例がわずかながら出てきています。
博多は海沿いの砂丘上に展開する町の遺跡です。その中の御供所(ごくしょ)町、現在の聖福寺・東長寺・承天寺がある一帯で、3基確認されます。この一帯は「宋人百堂(そうじんひゃくどう)」と呼ばれ、中国商人達の墓堂が立ち並んでいたと伝えられています。経塚はそれらに関連するものかもしれません。
初の発掘調査で出土地点を特定
西区・飯盛(いいもり)山は九州のみならず、全国を代表する瓦経(がきょう)(経典の文字を刻み焼いた粘土板)塚です。古くから破片が採集、掘り出されていますが、詳細な出土地点がわかりませんでした。平成23年度の福岡市文化財指定をきっかけに発掘調査が行われ、その結果大きな掘り出し穴と百点以上の破片が出土し、出土地点を特定することができました。出土地点不明品が多い中、大きな成果です。