平成27年12月15日(火)~平成28年2月7日(日)
福岡市博物館は平成27年で開館25周年を迎えましたが、この間、収蔵している旧福岡藩主黒田家の資料を、企画展示などで紹介してきました。
黒田資料のなかには、黒田家に集められた、江戸時代から現代にかけての、郷土の画家や文化人による、新春や四季をよぶにふさわしい絵柄の作品も含まれています。今回はそれらを中心に、黒田家の人々の作品も合わせて展示します。
二見浦富士図
1、正月・新春を祝う
文雅の心得のあった藩祖(はんそく)黒田如水(くろだじょすい)(1546~1604)は連歌を楽しみました。夢想(むそう)の連歌(れんが)では、如水が夢の中で得たとされる「松むめ(梅)や、末長かれと緑り立、山よりつづく里は福岡」の発句が有名です。これが福岡の地名の始まりといわれるからです。
また富士の描かれた2作品を紹介します。福岡藩の江戸屋敷のうち上屋敷の新春の様子で、お正月の大きなしめ縄と松飾りのある黒門と、遠くに見える富士山を描いたものです。黒門は、加賀百万石の前田家の赤門に対して名づけられましたが、いかにも武功の黒田家らしい質素な門です。屋根は黒田騒動により幕府に憚って付けられなかったとも言われます。
もう1つは福岡藩の御用絵師・尾形洞谷(おがたどうこく)(1753~1817)の描いた伊勢(いせ)国(現三重県)二見浦(ふたみがうら)の夫婦岩から見た初日の出と富士山のお目出度い取り合わせです。
箱崎松図
2、和歌と歌仙の世界
お正月といえば、百人一首のかるたとそれに描かれた歌人たちの絵を思い浮かべます。歌合(うたあわせ)とは有名な歌人を左右に並べ、1組ごとに両者の歌の優劣を比べる遊びです。和歌は江戸時代なかば以降の黒田家で盛んに藩主や奥方などの教養として学ばれ、6代藩主黒田継高(くろだつぐたか)(1703~1775)やその夫人の幸子などが歌集をのこしています。
作者の斉藤秋圃(さいとうしゅうほ)は(1768~1859)は、はじめ上方の絵師として活動し、後に福岡の城下で町絵師として活躍したあと、福岡藩の支藩秋月藩の御用絵師となりました。その間、筑前で様々な題材の風物を描き、筑前(ちくぜん)四大画家の1人とされます。特に鹿の絵に優れていました。
3、正月の神仙と郷土の神々
つぎは、福岡藩幕末の御用絵師・尾形洞霄(どうしょう)(1791~1863)による寿老人と鶴・猿の図です。寿老人(じゅろうじん)は今では正月のユーモラスな七福神の1人ですが、この絵ではもともとの中国の仙人風に描かれています。箱崎松(はこざきまつ)図は松と浜が描がかれ、それに象徴された筥崎8幡の神を賛えて、黒田継高が読んだ「神まもる道ぞかしこき箱崎(はこざき)や松のさかえも国のためしと」という和歌が添えられています。
箱崎松原の盛んに繁る様に、太平の世の中の福岡の繁栄を見ているようす。また天神様である菅原道真(すがわらのみちざね)像は、4代藩主黒田綱政(くろだつなまさ)(1659~1711)の作とされます。綱政は絵画を自ら描いた藩主で、江戸の狩野昌運(かのうしょううん)(1637~1702)を師として招きました。