平成28年8月23日(火)~平成28年10月23日(日)
黒田長政像(資料2)
4、鷹をめぐる家臣たち
藩主のために福岡藩内には、鷹の捕獲や飼育、狩の訓練を専門とする鷹匠(たかじょう)の仕事をする家臣が、江戸時代の早い時期から召し抱えられており、広羽(ひろは)家、周防(すおう)家などの資料が現存しています。福岡城内には御鷹部屋が設けられ、さまざまな鷹が飼われていました。当時鷹狩に使われた猛禽類には大鷹や隼などがあり、幼い時に捕獲(ほかく)され、主人に懐き、しかも狩の時は獰猛に動くように、獲物の大きさに応じて長年にわたり訓練されました。鷹匠の家々には、鷹の捕獲、飼育(しいく)、鷹狩の技術、鷹の医術、獲物の鳥類、鷹にまつわる儀式など、鷹に関する様々な秘伝書が残されています。また鷹の餌(えさ)を集める仕事の武士たちもいました。
5、鷹と馬の絵画と工芸品
江戸時代の初~中期では、近世武家の興隆(こうりゅう)にしたがって、馬と鷹は武家の社会的な地位や尚武の文化を表わすシンボルとなり、彼らの好む絵画や器物(きぶつ)の題材・意匠(いしょう)として多く使われました。鷹の絵では、鷹架(たかほこ)につながれた姿で、さまざまな種類の鷹を描いた、曽我氏の屏風が有名です。福岡藩の御用絵師(ごようえし)にも、石里洞秀(いしざとどうしゅう)などが鷹を崇高な鳥として描いています。一方、馬では福岡藩4代藩主綱政(つなまさ)に仕えた狩野昌運(かのうしょううん)は、野山に群れ遊ぶ馬をさまざまに描いています。また鷹と馬は武士の刀を飾る目貫(めぬき)、小柄(こづか)などでも好まれました。
又野 誠