平成28年9月21日(水)~平成28年11月13日(日)
小銅製仏像 二躯 伝福岡県出土
(奈良国立博物館所蔵)
はじめに
経塚(きょうづか)は、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)(以下、「法華経(ほけきょう)」という。)を中心とする仏教経典を書き写して地中に埋めた遺跡です。畿内と九州で多く発見されており、平安時代後期の社会や思想・宗教を知る上で重要な資料です。
平成27年度は「経塚フロンティア2015」と題し、経塚研究の最新知見を紹介しました。今回は、奈良国立博物館資料相互活用促進事業により、九州にゆかりのある貴重な経塚関連資料を展示します。
なぜ人々は経塚を造ったのでしょうか。経塚にまつわる「なぜ」という疑問をひとつひとつ考えてみましょう。
経塚
経塚の中には、経典をおさめた経筒(きょうづつ)という銅製・陶製・滑石製の容器を入れます。さらに鏡・小刀・仏像・仏具・小型の容器・古銭などが一緒に埋められている例もあります。小石室(しょうせきしつ)を設けたり、甕に収めたり、ただ単に穴を掘って埋めたりと、様々な埋納(まいのう)方法が確認されています。埋納する経典の材質も、紙のほかに瓦、粘土板、銅板、滑石などがあり、紙経典以外は、経筒に納めずにそのまま埋納されているものもあります。
法華経絵巻 残闕(一部)
(京都国立博物館所蔵)
経筒に描かれた十羅刹如(伝福岡県)
(奈良国立博物館所蔵)
法華経の世界
経塚に埋納される経典の多くは法華経です。法華経は二十八の章節で構成されており、釈迦が多くの者の前で法華経を説く内容となっています。法華経の薬草喩品(やくそうゆばん)第五には、法華経を聞いた人が現世の安穏(あんのん)を得、後の世で善いところに生まれる約束を得たということが説かれています。また、経典全体を通して「法華経を広め伝えなさい。そうすれば無上の悟りへ達することができる」「法華経を信じればだれでも仏になれる」ということを説いています。
当時は、天災が立て続けにおこり、都では放火・盗賊が横行、寺院の勢力争いが増え、僧兵が暴れるなどの社会不安が広まっていました。そのような現世の中で、人々は来世に救いを求めたのではないでしょうか。
経筒自体が法華経の世界を顕(あらわ)していると考えられるものもあります。経筒には様々な形態があり、中には塔の形をしているものがあります。法華経見宝塔品(けんぽうとうぼん)第十一の中に、地中から多宝如来(たほうにょらい)がいる多宝塔が湧き出て、法華経を褒め称えたということが説かれています。塔の形をした経筒はこの多宝塔を顕したものだという説もあります。福岡県で出土したと伝えられている永久(えいきゅう)4(1116)年銘(めい)の金銅製経筒(こんどうせいきょうづつ)(資料4)を見てみましょう。この中には経典とともに仏像二躯(にく)や鈴も共に納められていました。この二躯の仏像は多宝如来と釈迦如来になぞらえてつくられたのでしょう。
経筒には線刻画(せんこくが)が描かれていることがあります。保延(ほうえん)7(1141)年銘の経筒(資料5)の表面には、普賢菩薩(ふげんぼさつ)、二天(にてん)、二菩薩(にぼさつ)、十羅刹女(じゅうらせつにょ)が描かれています。いずれも法華経の中に登場する菩薩たちです。十羅刹女は、法華経の陀羅尼品(だらにぼん)第二十六に登場する、法華経を読誦(どくじゅ)(声に出して経文を読むこと)・受持(じゅじ)(仏の教えを受けて心に持ち続けること)する者を擁護(ようご)する十女神のことを指します。紀年銘のある十羅刹女としては現存する最古の絵であり、美術史的にも貴重な資料です。