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No.483

企画展示室1

見えないものを見る

平成28年12月20日(火)~平成29年2月19日(日)

神木図

神木図

 私たちの暮らしに、見えないものがあることは、誰でも知っています。「気持ちがいい」「何気ない」という言い方をしますが、その「気(き)」なども、見えないものです。しかし私たちは「人気」「雰囲気」「天気」などという言葉とともに、それを使い、感じて生きています。先祖から続く生活のあり方には、この見えないものを見るための智恵が随所に織り込まれて伝えられ、生活の豊かさを生み出しているのです。

一 見えない存在を、数えて、見る

 樹齢何百年という古木を目にしたとき人はこころ打たれ、そこに鎮まる見えぬ尊い存在を「柱(はしら)」という言葉で数えました。私たちの身の回りを見渡しても、見えない存在とともにあることは珍しくありません。正月には鏡餅を飾って、幾柱もの神様たちを招いて接待します。年玉(としだま)は本来は餅で、歳神様(としがみさま)から頂く命そのものを意味していました。また、盆には精霊様(しょうりょうさま)を招いて、朝昼晩と食事を差し上げて見えているが如くに接待します。最近では年玉にならって盆玉(ぼんだま)などの贈答も行われるようになり、姿のない先祖との交流が、新たな縁を作り出しているようです。私たちの生活は、こうした見えない世界と渾然一体となりながら現在も連綿と続いているのです。
 年玉・盆玉の玉は、もとは魂を意味していました。体から魂が抜けると人も動物もこの世にはいられません。これも見えません。だが、猟師(りょうし)は命を奪った獲物(えもの)の魂を「一(ひと)たます、二(ふた)たます」とまるで見えるように数えて供養しました。
 町部で、恵方(えほう)にある神社仏閣に詣でて歳徳神(としとくしん)を家へお連れした正月恵方詣は江戸時代に盛んでした。これが初詣のもとです。一方農村では、春先に田に出て、秋の収穫後に家にもどると考えられてた田の神である丑様(うしさま)の送迎をしました。月の数だけ刈り残した稲を、霜月(しもつき)丑の日に刈り取り、天秤棒に振り分けて「重たい、重たい」といいながら、あたかも丑様が見えているように振る舞うのです。
 江戸時代、ただ回復を待つしかなかった麻疹(はしか)が相撲で打ち負かされる絵が描かれました。可視化することで症状を軽くする民間療法でした。同じ発想で、怪しいものを見分ける身振りもありました。自分の股の間から後ろを見る「股覗(またのぞき)」です。船上ですると、そこにこの世ならぬものが見えるとされ、また、子供が股覗をすると次の子の誕生の兆(きざ)しとなりました。普段はしないことをすることで、見えないものを見ることができたのです。これは、わざと屏風(びょうぶ)を逆さにしたり、普段とは違う配置をすることで、見えない喪(も)の慎みを顕(あらわ)す民俗的思考にも繋がっています。  ところで、見えない存在はどこにいるのでしょうか。民間の信仰では、人は亡くなると「この世」から「あの世」に移っていくとされます。また、神様の世界は「常世(とこよ)」と呼ばれました。どちらも「海の彼方(かなた)」や、「山の彼方」でした。神様たちは、正月や祭りのときに常世から人里へやってきたのです。亡くなった人たちもそこで生前同様に暮らしており盆にもどってくると考えられていました。盆以外に会うには、生前の記憶が詰まった物を通して亡き人を見る「形見(かたみ)」をしました。ただし故人と過ごした時間や距離よっては、愛しい人が幽霊に見えることにもなりました。

二 気は、こころ

 気配(きくば)りとは適正な配置、こころ配りを意味します。その結果顕(あら)わになるのが何となく感じられる気配(けはい)です。配置や形式が正しければ身の置き所や生活が端正に保たれてきたのです。茶道や能楽は、道具を適切に配置して大切に使うことにより、見えない侘(わ)び寂(さ)びを可視化する形(かた)・配置の芸術です。私たちの先祖は、空間配置が悪いと、身の置き所がなくなるだけではなく、良からぬものの気配が漂い始めることを熟知しており、これによって正しい順番、ものを粗末にしないこと、を伝えてきたのでしょう。
 兆しは見えますが、その時点では後に起こる事は見えてはいません。たとえば明日の天気や天災などです。私たちの先祖は、予測と結果の経験則を蓄積し、何代もの試行錯誤を経て、「言い伝え」とし子孫に残すことで、見えないものを見る工夫を伝えてきたのです。
 「気」と同じく、「こころ」も見えにくいものです。愛憎(あいぞう)は特にそうです。親の愛はありがたいものですが、なかなか見えません。若いうちはそれを見ようともしません。歳を経て素直になったときにはじめて、親の愛が見えるとされます。そのときには、親は「あの世」におり、眼前にその姿を見ることはできないのです。形見を通して「そうだったんだ」と親の愛を見ることになるのです。
 男女の愛、夫婦の愛はちょっと複雑です。沖に出る漁師の仕事着ドンザには、細かな刺し子模様が入っています。多くは「板子(いたご)一枚下は地獄」と言われる危険に囲まれた漁の無事を祈る妻が縫ったものです。ひと針ひと針、夫に対する思いを縫い付けたものです。目の詰まり方で、どのくらい愛されていたかが見えます。これを着たら、すぐに妻のもとに戻ろうという気にもなります。しかし、そうではないこともあります。愛の裏返しが憎です。それは疑念から生じます。見えないうちに解決できるといいのですが、それが姿を持つようになると大変です。能面の「生成(なまなり)」は、まさしく見えはじめたばかりの憎悪を表現しています。その思いがたどり着く先が「呪(しゅ)」です。密かに見えない世界に働きかけ、妬(ねた)みや恨(うら)みなどの気を具現化する方法です。

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休館日
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