平成29年4月18日(火)~6月25日(日)
18 黒田長政像(部分)
「黒田資料」とは
福岡市博物館と福岡市美術館では、旧福岡藩主黒田家に伝来した数々の重宝類のことを「黒田資料」と総称しています。これらは市美術館が開館する前年の昭和53(1978)年に、黒田家の資料を故郷に帰したいという、黒田家第14代当主黒田長禮(ながみち)氏(1889~1978)のご遺志を継がれた黒田茂子夫人(1897~1991)から福岡市に譲渡された品々です。その後、平成2(1990)年に市博物館が開館するにあたって、黒田資料の中の国宝の金印、歴代当主の肖像画や武具類、古文書といった歴史的な資料が市美術館から移管されました。
今回、リニューアルのため平成31(2019)年3月まで休館をしている市美術館から黒田資料の1部を借り受け、「市美×市博 黒田資料名品展」と題したシリーズの展覧会を開催します。第1回目は「黒田長政の読書」。ひさしぶりに再会を果たす市美と市博の黒田資料、どのような「化学反応」が生まれるのでしょうか。
1 黒田長政像(部分)
1、長政は読書好き?
福岡藩初代藩主黒田長政(1568~1623)は、智将として知られる父・孝高(よしたか)(官兵衛(かんびょうえ)、如水(如水) 1546~1604)と比べ、勇猛果敢な武将として語られることが多い人物です。よく知られる肖像画も馬にまたがって関ヶ原(せきがはら)の戦いに出陣する姿を描いたものであり、黒田家草創期の功臣を描いた「黒田二十四騎図」でも、大水牛脇立兜(だいすいぎゅうわきだてかぶと)をかぶった長政が最上部に描かれ、戦場に生きた武将としてのイメージを後世の人々に伝えています。
しかし、長政の手紙や黒田資料の中に残る書籍類をよく見てみると、また、違った人物像が浮かび上がってきます。長政が嫡子の忠之(ただゆき)(1602~1654)の教育係に宛てた手紙からは教育熱心な父親の姿が見えてきます。その内容は文武全般にわたる具体的な指示から為政者としての正しい身のこなしまで多岐にわたりますが、中でも読書に関する細かな指示が目立ちます。長政は数え年11才の忠之にまずは『論語(ろんご)』と『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』を読ませ、1年後には『大学(だいがく)』と『三略(さんりゃく)』を読むように命じます。また、『六韜(りくとう)』より、『孟子(もうし)』を読むことを優先すべきという手紙(資料1)も残っています。長政は兵法の書よりも儒教(じゅきょう)の教えを説いた書を忠之に先に学んでもらいたいと考えていたようです。実際、長政は徳川家に仕えた儒学者・林羅山(はやしらざん)(1583~1657)を招いて講義を受けており、『巵言抄(しげんしょう)』(資料6・7)という儒学のテキストをまとめさせています。