平成29年4月18日(火)~6月25日(日)
8 長政様御文庫入記(部分) 「住吉物語」、「伊勢物語」、「萬聞書」、「犬筑波」、「四季御連歌」、「春夢草」とある。
2、長政の蔵書
長政がどのような本を持っていたのかは詳細なリストが残っていないのではっきりしたことは分かりませんが、当館所蔵の黒田資料の中にある「長政様御文庫入記(ながまささまごぶんこいりき)」(資料8)という書付からその一端を垣間見ることが出来ます。書付は19世紀の段階で長政の蔵書として伝わってきていた本を列記してありますが、そこには「住吉物語(すみよしものがたり)」、「伊勢物語(いせものがたり)」、「犬筑波(いぬつくば)」(資料9・10・12)といった書名が見えます。長政は領主の教養として儒書や兵法書等を学ぶ一方で、個人的な楽しみや文化的素養を磨くためにこれらの歌物語や歌集、俳諧(はいかい)集といったものも読んでいたようです。
また、長政が忠之に読ませていた『論語』は自分の大切な蔵書だったようで、手紙の中で、自分の赤表紙の『論語』を忠之は読んでいるそうだが、本が痛まないように大事に扱うこと、と家臣に伝えています(資料4)。これらの本は林羅山の蔵書を写したり、京都から板本を取り寄せて手に入れたものでした(資料2・4)。
3、長政の肖像画と読書
江戸時代初めに描かれたとされる長政の肖像画は10点ほどが知られています。その姿を分類すると①甲冑を身につけているもの(当館蔵)、②束帯(そくたい)姿のもの(当館他蔵)、③頭巾(ずきん)をかぶって袈裟を身につけているもの(当館他蔵)の3種におおまかに分けられます。数としては③が最も多いのですが、この中に2点、本が一緒に描かれている肖像画があります(資料18・19)。個人蔵の方には12冊、秋月(あきづき)藩主黒田家の菩提(ぼだい)寺である古心寺(こしんじ)蔵の方には13冊以上の本が描かれています。いずれも具体的な書名は分かりませんが、古心寺の長政像には臨済宗(りんざいしゅう)の僧である江月宗玩(こうげつそうがん)(1574~1643)が「膝下堆聖賢書(しっかにせいけんのしょをつむ)」と書いており、「聖賢」つまり、知識と人格にすぐれた人物が書いた本を長政が読んでいたことを伝えています。
学者の肖像画ならば本が一緒に描かれているのも頷(うなづ)けますが、戦国時代を生き抜いた武将の肖像画としては非常に珍しい事例と言えます。長政が読書の大切さを日頃から説いており、また周囲の人々も長政のことををそうした人物であると認識していたということをこの2点の肖像画は物語っているようです。
後世に編纂された黒田家の歴史書『黒田家譜(くろだかふ)』の中には長政の遺訓として次のような読書観が示されています。
「四書・七書・孝経、素読よくよく覚候、道春に道理をもいはせて聞、国の政すなほなる様に学問を用候事専1に候、多く書をよみ、物知だては学問も邪魔に成候」
「四書(ししょ)」は儒学の基本書である『大学(だいがく)』、『中庸(ちゅうよう)』、『論語(ろんご)』、『孟子(もうし)』のこと、「七書(しちしょ)」は中国の兵法書である『孫子(そんし)』、『呉子(ごし)』、『司馬法(しばほう)』、『尉繚子(うつりょうし)』、『三略(さんりゃく)』、『六韜(りくとう)』、『李衛公問対(りえいこうもんたい)』のこと、『孝経(こうきょう)』は家族道徳の根本である孝の精神を説いた書物です。そして、これらを声を出して読み、「道春(どうしゅん)」=林羅山の講義を受け、国の政治が正しく行われるように学問を用いることが第1であると説きます。たくさんの本を読んで、「物知だて」=知ったかぶりをするようでは学問も邪魔になると結んでいることからも分かるように、長政にとって読書はたくさん読むことが大事なのではなく、本の内容を世の中の役に立てることが大事であるという認識を持っていたと言えるでしょう。
(宮野弘樹)