平成29年8月8日(火)~10月15日(日)
黒田家の女乗物二挺
女乗物の最上のものは徳川家の女性が使った品の中にあります。これらは金粉と漆で全体の表面を果物の梨の皮のように表現した「梨子地(なしじ)」と呼ばれる技法を用いており、4例しか現存していません。今回展示した黒田家の女乗物の内、【1】はこの梨子地をまだらに散らしている「村梨子地(むらなしじ)」という技法を用いています。全体ではないものの、【1】と同様に一部に梨子地の技法を用いている女乗物はいくつか伝存していますが、それらはいずれも国持(くにもち)大名かそれに準じる格式を持つ家以上で使われていた品であることが分かっています。また、【1】には正面上部に福岡藩主黒田家の家紋である白餅紋(しろもちもん)の金具が、背面上部には替紋の藤巴紋(ふじどもえもん)の金具が据えられています。支藩の秋月(あきづき)藩主黒田家では白餅紋は使っていませんので、その意味でも【1】は福岡藩主黒田家の女性が使った女乗物としての格式を備えた品といえます。ちなみに、背面上部の藤巴紋は黒田家で一般的に用いているものと花の房の巻き方が逆です。婚礼調度の中にまれに見ることはありますがなぜ逆なのか理由はよく分かっていません。
一方、【2】は黒漆塗りの表面に松竹梅の図柄の蒔絵(まきえ)が施された品で、下部の方の装飾にキラキラと輝く貝が埋め込まれた「螺鈿(らでん)」という技法が使われています。この女乗物は秋月藩9代藩主黒田長韶(ながつぐ)室(川越藩主松平直恒(まつだいらなおつね)娘)が使っていたという伝来を持つものです。確かに格式としては、黒漆塗りに蒔絵という、大名家で使う女乗物と位置づけられる品ですが、担(かつ)ぎ棒の短さや簡素な屋根の形式、窓の上についた庇(ひさし)等、珍しい仕様が見られ、女乗物全体の中での評価を難しくする要素を多く含んでいます。
今回はこの2点の女乗物の他に福岡藩領内で僧侶が使った駕籠【3】と福岡城下の町役人が使った駕籠【4】も展示します。女乗物の技法の見事さと共に、使う道具の違いから読み取れる身分制社会の実態についても考えていただければ幸いです。
(宮野弘樹)
写真5 2.黒漆塗松竹梅蒔絵女乗物
写真6
写真7
【写真5】担ぎ棒は2人用。側面の窓にも庇が付くが、屋根の左側は跳ね上がらない。【写真6】正面上部の金具の藤巴紋は秋月藩主黒田家の家紋。「夢想窓」の上の庇は他の女乗物ではあまり見られない。【写真7】背面上部の金具も藤巴紋。