平成29年8月22日(火)~10月15日(日)
3. 床に就く
夜着
私たち人間は、夜の闇のなかでは身動きがとれなくなる生き物ですから、活動の多くを昼間に行っています。夜は本来、人にとって休息の時間でした。電気照明の普及によってわずか数十年の間に私たちの就寝時間は二時間ほども遅くなったといわれていますが、それでも夜と睡眠は簡単に切り離すことができません。
私たちの安らかな睡眠を助けてくれる布団は、現在では敷布団、掛布団ともに四角い形のものが一般的ですが、昭和の前半頃までは夜着(よぎ)と呼ばれる着物と同様の形をした掛布団状の寝具も多く見られました。
綿のたっぷりと入った夜着はずっしりと重く、幅広の袖(そで)に腕を通すと首もとまで体に馴染んで肩からのすきま風を防いでくれます。
江戸時代後期の博多の見聞録「旧稀集(きゅうきしゅう)」には、自宅の雪の吹き込むところにあえて床を敷き、自分の夜着に積もった雪の様子をみせるため大声で隣人を呼んだという変わり者の逸話があります。昔の人は寒さに強かったとはいえ、夜着の防寒性は高かったようです。
女夜仕事図袱紗(部分)
かつては嫁入り道具としても、布団や夜着といった寝具は欠かすことのできないものでした。そこにはたいてい大きな家紋と鮮やかな吉祥文様が描かれていて、これからの幸福な家庭生活を願うとともに、婚家の繁栄を祈る気持ちを見てとることができます。
4. 夜ごと宵ごと
日暮れとともに寝て、夜明けとともに起きる生活をする人はほとんどいません。かつての私たちの暮らしにも、夜には夜の過ごし方がありました。
唐衣(からころも)打つ声きけば月きよみ
まだ寝ぬ人をそらに知るかな
紀貫之(きのつらゆき)の有名な歌に登場する砧(きぬた)は、麻や葛(くず)の糸で織った布を叩いてやわらかくするための台のことで、秋の季語でもあります。木槌(きづち)で繰り返し布を打つ作業は、古くから秋の夜長の女性の仕事とされていました。
近世以降の農村では、夜も男性は縄を綯(な)ったり草履(ぞうり)を編(あ)んだりする藁(わら)仕事を、女性は糸挽(ひ)きや針仕事などをすることが多かったようです。こうした夜なべ仕事は、たいてい秋の彼岸から春の彼岸にかけて、夜が長くなる時期に行われるものでした。
町なかを「火の用心」と触れてまわる夜まわりの声と拍子木の音は、冬の夜の音として人々に記憶されています。「博多明治風俗図」を描いた祝部至善(ほうりしぜん)は、「寒風吹きすさむ冬の夜、火鉢か炬燵(こたつ)かの中でこのカチカチを聞かされる時、実に深い印象を受けた」「夏の夜も秋の夜も行われていた筈だが呼び声も拍子木も聞こえなかった」と回想しています。
いっぽう夏の夜には、心ときめく開放的な夜の楽しみが多くありました。螢(ほたる)、花火、秋口まで続く祭りの夜店や大道芸。夕涼みの風景です。博多綱場町(つなばまち)・綱敷天満宮(つなしきてんまんぐう)の夏祭りのようすを、町の住人だった波多江五兵衛(はたえごへえ)は『大正の博多記』にこう書き残しています。
参道から門前まで並ぶ露店の裸電球とアセチレンのガス灯。さいせん箱の前のガラン、ガランとひっきりなしに鳴る大きな吊鈴、拝殿の両横からぐるりと取りまく千灯明の灯り。ギッシリと詰った人波が、大きな流れのように、ゆっくりと移動してゆく。
(松村利規)