平成29年10月24日(火)~12月24日(日)
3 幕府の分裂による三つ巴の戦い
1349年、足利尊氏・直義(ただよし)兄弟の対立により、観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)(~1352)が勃発(ぼっぱつ)し、幕府は分裂します。筑前に直義の養子足利直冬(ただふゆ)(尊氏の庶子)が下向し、筑前守護(しゅご)・大宰少弐頼尚(よりひさ)に迎え入れられました。直冬は現地の武士や寺社の土地・権利を保証(図6)して味方を募り大きな勢力となります。尊氏方の九州探題一色直氏、南朝勢力と抗争し、九州は三(み)つ巴(どもえ)の様相を呈しました。
4 今川了俊による南朝勢力の圧倒~動乱の終息
全国的に南朝の勢力が退潮するなかで、九州では征西府(せいせいふ)が優勢を保っていました。とくに、1361年、征西将軍宮(しょうぐんのみや)・懐良親王や菊池武光(たけみつ)は大宰府(だざいふ)に拠点を移し、幕府方を圧倒します。そこで幕府は今川了俊(いまがわりょうしゅん)を九州探題に任命し、1371年、九州に派遣し、翌年、了俊は大宰府を奪回し、しだいに南朝の勢力を圧倒していきました。
(堀本一繁)
図3 宮野教心着到状
(証判は大宰少弐頼尚)(史料8)
図4 斑島渟着到状
(史料14)
図5 一色直氏知行預ヶ状
(史料24)
図6 足利直冬の裏書き安堵
(史料27の紙背)