展示・企画展示室1

No.513

企画展示室1

甲冑にみる江戸時代展5―武士と武人の甲冑像―

平成30年4月24日(火)~6月24日(日)

町絵師の描く武将・武人の甲冑像

 江戸時代後期には、日本の歴史や文学の知識が豊富になり、それを題材として筑前(ちくぜん)でも斉藤秋圃(さいとうしゅうほ)など一般の町絵師も、大鎧風(おおよろいふう)の理想的、あるいは手本を元にした室町風の古風な甲冑姿の人物を描きます。これら鎌倉時代から南北朝(なんぼくちょう)時代の甲冑は、現物をみて正確に描かれたわけではありません。しかし実在の人物ではなく歴史に題材をとった小説、軍記物(ぐんきもの)、子供向けの読み物では、想像上の大鎧風の甲冑を着た人物たちが大活躍です。かれら絵師たちには、正確さよりも甲冑を着た武士たちの躍動的(やくどうてき)な姿こそが魅力だったのでしょう。

庶民の世界の中の甲冑画

 江戸時代の庶民が見る武士の甲冑姿は、当世具足姿での軍勢(ぐんぜい)の行進などでしょうが、平和な時代が続くとそれらも少なくなり、幕末には武士の軍装も重い甲冑ではなく、陣羽織(じんばおり)、陣笠(じんがさ)などの軽装になりました。

 それにもかかわらず江戸時代の絵師たちの描く武士の甲冑像は、庶民の生活、文化の中に盛んに取り入れられました。華やかさを求める歌舞伎絵(かぶきえ)や浮世絵(うきよえ)、面白さが大事な読本(よみほん)では、忠臣蔵(ちゅうしんぐら)など作者も江戸時代の武士の世界を直接の舞台にせず、一昔以前の時代に仮託(かたく)して扱うことが多く、その時は大鎧や室町風の、想像上の甲冑がむしろぴったりでした。

 福岡藩の博多では、祇園山笠(ぎおんやまかさ)の人形には、神話や古代・中世の軍記(ぐんき)に題材にとった、古風な大鎧風の甲冑を着た人形が出てきます。博多の文人(ぶんじん)奥村玉蘭(おくむらぎょくらん)の『筑前名所図会(めいしょずえ)』に描かれた合戦図は、戦国時代でも大鎧風です。神社仏閣に奉納される絵馬の甲冑姿も大鎧風でした。

48 秋月藩諸士章・冑・立物図画帳

48 秋月藩諸士章・冑・立物図画帳

正確な甲冑姿の武士・武人像

 福岡藩では十九世紀の十代藩主で博物学を好んだ黒田斉清(なりきよ)の時代に、二十四騎の子孫の家に残された、肖像画や当世具足の本格的調査が行われ、以後この調査をもとに、お抱え絵師による当世具足を着た長政と三奈木(みなぎ)黒田一成(かずなり)、母里太兵衛(もりたへえ)など描いた、ほぼ正確な甲冑姿の二十四騎図が描かれました。また支藩秋月(あきづき)藩では島原(しまばら)・天草(あまくさ)の一揆の際の、出陣図製作のため、家臣の兜が調査されました。

 また学問上で歴史の興味が盛んになった江戸時代中期以降は、歴史的事件や人物の肖像の正確な写しも作られ、福岡藩の国学者(こくがくしゃ)・青柳種信(たねのぶ)の集めた武肖像や、蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)の模本などがあります。

西洋人の見た甲冑

 幕末から明治になると西洋人が再び日本を見直すこととなりました。そのため、有名なシーボルトや来日した外国人ジャーナリストが紹介した武士と甲冑が、ビジュアルな版画(はんが)、絵入りニュース、本の挿絵(さしえ)に残されています。そこには東洋の不思議なものとしてのエキゾチックな好奇心があふれているといえ、現代でも西洋の人たちが日本を想像する手がかりとなっています。
(又野誠)

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