『日本書紀』の時代の筑紫
令和2年5月19日(火)~7月19日(日)
日本紀を修む。
是に至りて功成りて奏上す。
(『続日本紀』)
『日本書紀(にほんしょき)』(以後『書紀』)は今から1300年前に完成した歴史書です。奈良時代、養老(ようろう)4年(720)5月21日に、元正(げんしょう)天皇に奏上されました。天武(てんむ)天皇の時に史書の検討が始まってから40年もの歳月をかけて完成されたその中には、「筑紫」を舞台にしたさまざまな記述を見ることができます。
神功(じんぐう)皇后が筑紫を訪れる「新羅(しらぎ)征討」の話は、『書紀』と筑紫のかかわりの中で欠かすことができません。「儺縣(ながあがた)」(博多付近)・「橿日宮(かしひのみや)」(香椎)など博多湾岸も舞台となり、志賀島(しかのしま)にある志賀海(しかうみ)神社の縁起絵(図2)には、征討の様子が描かれています。
さて、『書紀』の神功皇后紀は、実年代や性格が異なる様々な史料や説話をもとにした記述であり、史実として捉えるには注意が必要です。一方で皇后紀は外国の歴史書や金石文(きんせきぶん)にみえる倭の五王以前の筑紫の様子を知る手がかりになります。大陸に向かう海に面し、有力者の滞在が度々みえる筑紫関連の記事からは、王権の中央集権体制確立への政策をうかがうことができます。