唐団扇(とううちわ)がつなぐもの
令和3年8月31日(火)~11月14日(日)
町を支える組織と唐団扇
もう1つの町の印である唐団扇は、(伝承によると)当初は火消組の所属の標識として使われたものでしたが、後に共有物にも用いられるようになります。
それを示す古い例に火消頭取(とうどり)(火消組を統率する役職)中(ちゅう)によりつくられた幔幕(まんまく)(天保(てんぽう)13年・1842・写真3)があります。荒波に唐団扇というモチーフは、嘉永(かえい)6年、安政(あんせい)4年、文久(ぶんきゅう)2年の幔幕にも見られます。火消組の唐団扇は、所属の印にとどまらず、次第に藩に認められた火消しの功績に対する誇りと名誉、藩と町のつながりを示す意味も含むものとなり、印の由来とともに代々受け継がれていきました。
その一方で、火消組の印であった唐団扇は、いつの頃からか別の組織でも使われるようになります。
唐人町には、かつて子供組・若者組・中年組・長老組(呼称等は時代により異なる)という年齢集団がありました。若者組は「唐若(とうわか)」と呼ばれ、嘉永年間の高足膳の銘などにその名が見えます。同時期の資料には火消頭取と唐若の両方に名前のある人物もいるなど、若者は消火活動の主要な担い手でした。嘉永6年の幔幕に「若」の文字があるように、唐団扇は若者組の印としても用いられたようです。後年には、唐団扇に唐若の名が入った焼印もつくられました。
また中年組は、戦後ほかの年齢組織が消滅するなか、「中年会」として今も存続しています。大正時代には、子供組の活動補助や町の行政的な運営などにも関わっていましたが、現在は、おもに初午(はつうま)祭、馬頭観音(ばとうかんのん)夏祭り、八兵衛地蔵(はちべえじぞう)夏祭りといった(火に関連深い)年中行事の担い手として、町の歴史や文化を伝え、町内に住む新旧の住民との交流の場を供する役割を担っています。中年会の寄合の場には、唐団扇のタペストリーや座布団(写真1)が置かれるなど、「唐人町のロマン」の象徴としてこの印が受け継がれています。
時代は前後しますが、明治時代には唐人町の地域的特徴を反映した組織の印としても唐団扇が使われました。同町では、明治10年(1877)頃、水害時の消防組および中年組の活躍を機に、それまで交際が稀薄であった旧藩士「殿方(とのかた)」と旧町人「町方(まちかた)」の交流促進を目的とした組織「協和会(きょうわかい)」が設立されます。設立には、町政に関わる町人と接点のあった旧藩士らの存在が深く関わっていました。三つ組盃(写真4)中の協和会の名が入った「トウセン」は、かつて城内と町を結びつけた唐団扇の印にならい、新しい時代を生きる唐人町の人びと(「殿方」と「町方」)をつなぐものといえるでしょう。協和会はその後、唐人町六町(東唐人町・西唐人町・浪人町(ろうにんまち)・大円寺町(だいえんじのちょう)・桝小屋町(ますごやのちょう)・東唐人町堀端)による連合体を模索し、これは後に町内会的役割を果たす「唐人町六ケ町聯合町会」へとつながっていきました。
さらに昭和初期には、これまでの誇りや名誉、城内と町を結びつける意味合いとは異なるかたちで唐団扇を用いた組織がありました。「六唐婦人会(ろくとうふじんかい)」がそれに当たります。これは昭和9年(1934)から10年頃に唐人町六町でそれぞれ結成された婦人会の連合体のことで、昭和12年頃まで活動していたとみられます。この組織は、軍用六輪自動車献納(昭和10年3月)のための寄付金集めや野営訓練、講演会などの活動を行っていました(九州歴史資料館所蔵・岸田文書)。六唐婦人会の旗(写真5)には、六町の連帯を示す共通の印として「トウセン」が用いられました。
唐人町の人びとは、時々の町の組織にあわせ、緩やかに唐団扇の意味するところを変化させながら今日まで町の印を伝えてきたことがわかります。
町の組織とさまざまな印
唐人町には、今日までに様々な組織が存在しましたが、その全てに唐団扇を用いたわけでなく、組織の在り方に沿った印も使われています。
例えば昭和9年頃に唐人町六町で設立された「六唐少年団(ろくとうしょうねんだん)」があります。年に数回の遠足や営火、野営訓練などを行っていました(九州歴史資料館所蔵・岸田文書)。団旗には、少年団日本連盟の目的に基づいた記章(三種の神器である勾玉・剣・鏡に文字「そなえよつねに」)が使われました。
ほかにも、同町には昭和25年から40年(36年を除く)まで飾り山で参加した博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)の当番法被が残っています。法被には自分の所属が分かるよう、縞柄や幾何学模様のほか図案化した文字などがデザインされますが、唐人町では、戦後山笠に参加した町や流の多くが採用した文字文様と同じく町名にちなんだ「唐人」の文字が配されました。
本展の開催にあたり、唐人町中年会、九州歴史資料館、西日本文化協会にご協力を賜りました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。(河口綾香)