いきもの文化誌―海の巻
令和4年4月12日(火)~6月19日(日)
◆◇ 蛤(ハマグリ)・鮑(アワビ) ◇◆
ハマグリは、古くから私たちに親しまれてきた貝のひとつです。近年では、福岡近郊の糸島市加か布ふ里りが産地として知られていますが、江戸時代には「野北大蛤(のぎたおおはまぐり)」「野北濱栗」などと称された野北(現糸島市志摩(しま)野北)のものが「甚大にして味美なり」(『筑前国産物帳』)と評されていました。
福岡藩士の家では、正月3日の朝に蛤雑煮が膳に上り、松の内には数度の「蛤吸物」、「やき蛤」が食べられていた(「大野貞正雑用日記」)ほか、上巳の節供に「ひともし/はまぐり身」を神前へ供える(「斎藤家年中行事摘記」)など、正月や節供などのハレの日にハマグリが食べられていました。
また、一対の殻の両片がぴったりと合わさるハマグリの特徴は、夫婦和合や貞淑さと結びつき、とくに武士の社会では、婚礼調度の一つとして貝合(かいあわせ)をあつらえることもありました。
さて、玄界灘沿岸では、浜辺での貝類の採取以外にもアマ漁が盛んでした。アマ漁の様子は『万葉集』にも詠まれ、古くから海女・海士たちはウニやサザエ、アワビなどを獲っていました。なかでもアワビは、タイと同様に朝廷に納める税のひとつとして『延喜式』に記されています。江戸時代には、鐘崎(かねざき)(現宗像市)で作られる熨斗(のし)鮑(あわび)が高い品質を誇り、国内に出回る熨斗の多くを占めていたとされています。アワビの身は、熨斗として神饌(しんせん)や贈答に用いられ、殻は、その輝きをもってイタチ除けとしたり、「笹野左八郎御宿」と書いて疱瘡(ほうそう)除け、あるいは魔除けとして玄関口に吊るすこともありました。
◆◇ 海燕(タコノマクラ) ◇◆
海は豊かな恵みをもたらす一方、「板子(いたご)一枚下は地獄」という言葉のとおり危険なところでもあります。海を生業の場とする漁師たちは、無事を願い、神仏へ祈りを捧げ、験を担ぎ、身につけるものに魔除けを施しました。「ドンザ」と呼ばれる漁師の作業着は本来、船上での防寒や防水を目的としたものですが、晴れ着に相当するものもつくられました。【写真3】のドンザには、袖に刺し子でタコノマクラ(直径10センチメートルほどの平たいウニの仲間)があしらわれています。タコノマクラの上面にある花弁状の模様は、陰陽道における魔除けの印である五芒星を連想させます。
◆◇ 海馬(タツノオトシゴ)・葵貝(アオイガイ) ◇◆
新しい命をこの世に送り出す出産は、昔も今も命がけです。人びとは、いきものの子育ての生態にあやかり、母子の無事を願いました。
タツノオトシゴは、同じ雌雄(しゆう)が何度も子を成し、雌(めす)が産んだたくさんの卵を雄(おす)が自身の哺育嚢(ほいくのう)で稚魚(ちぎょ)になるまで育てます。その様が多産や安産とつながり、縁起物となったといわれています。
江戸時代の書物『女重宝記(おんなちょうほうき)』には、「海馬を産婦の手の内に握らすれば、難産なしといえり。(中略)また、子安貝(こやすがい)という貝有り。この貝に、はやめ(出産を促(うなが)す薬)を入れてのめば、平産するなり」とあります。文中の子安貝は女性器にかたちが似ているタカラガイのことでしょう。
興味深いことに福岡には別の子安貝もあって、「鸚鵡(おうむ)螺の形なり。筑前にて鶉介(うずらがい)の八寸許なるをも、こやす貝と云」(『大和本草批正』)いました。これは、アオイガイ(カイダコと呼ばれるタコの仲間)のことで、貝殻を持つ雌が殻の中で産卵し、ふ化するまで育てる習性にあやかったものと考えられます。博多湾沿岸部では、昭和20年代頃までその殻【写真4】に水や湯をいれて、出産中の産婦に飲ませる、枕元に置くなどしていましたが、病院出産の増加ともに次第に見られなくなりました。 (学芸課いきもの係)