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No.587

企画展示室2 黒田記念室

描かれた黒田如水・長政展

令和5年1月17日(火)~3月19日(日)

受け継がれる如水像・長政像

 江戸時代も半ばにさしかかる元禄(げんろく)時代には、如水や長政の事績(じせき)を残すため『黒田家譜』などが編さんされました。続く18世紀前半以降の6代藩主継高(つぐたか)の時代には、如水・長政の歴史を伝承するための、藩は様々な事業を行ない、継高は、明和(めいわ)5(1768)年長政を聖照権現(せいしょうごんげん)として福岡城の本丸に祀(まつ)りました(翌年如水も水鏡(すいきょう)権現として同所に合祀)。同年には藩の命で、御用絵師が長政の本物の甲冑騎馬像を前に、精密(せいみつ)な写しを作っており、また藩の儒学者・竹田定良は原画像の中の賛さん文ぶんなどに誤りがないか、調査をしています。

 現在、本館には、甲冑騎馬像の見事な彩色の写しが残されており、明和5年の詳細(しょうさい)な調査の後に描かれたと推定され、このほか如水の寄几(きき)、端座(たんざ)、長政参禅(さんぜん)の各像の精密な写しも残され、江戸時代後期にはこの4本がセットで重要視されていたことが窺えます。また各像を後世に伝えるため、白描(墨だけの輪郭画)も揃えられました。 

 ところで19世紀、博多の文人(ぶんじん)奥村玉蘭(おくむらぎょくらん)は「筑前名所図会(ちくぜんめいしょずえ)」のなかで如水の端座像、長政の衣冠束帯の立像を描いています。これらは表情も穏やかな、如水や長政を崇敬した墨画ですが、本の出版は藩に許可されませんでした。

黒田二十四騎図の中の長政
黒田長政像(水牛兜)
黒田長政像(水牛兜)

 長政像には、もう一つの流れがあります。それは若いころから愛用した水牛兜(すいぎゅうかぶと)をかぶった姿で床几(しょうぎ)に座る武将像です。17世紀終わりの元禄時代ごろ、藩が黒田家創成期(そうせいき)に仕えた有力家臣24名を「黒田二十四騎」としてを顕彰(けんしょう)するようになります。彼らを描いた黒田二十四騎図の最上座(さいじょうざ)には水牛兜をかぶり、床几に座った長政が小さく描かれました。ただし身に着けた甲冑は想像図で、風貌もしごく素朴なものでした。

 ところがその後、この小さな長政が独立して肖像のようになった絵が登場します。源平合戦風の大鎧を着て、顔つきもいかにも芝居がかっています。江戸時代後半18世紀末になると、藩の御用絵師による風貌(ふうぼう)も似(に)せた威厳(いげん)ある騎馬像も現れました。

 続く10代藩主斉清(なりきよ)の時代には、藩主の原物(げんぶつ)重視による博物学的な調査や、長政200年忌(き)の藩の事業と相まって、水牛兜と黒漆五枚胴具足の姿の精密に描かれた長政像も描かれました。江戸時代後半の二十四騎図では長政がほとんど描かれず、水牛兜と軍旗が象徴として描かれていますし、黒田大明神(くろだだいみょうじん)とされた二十四騎図の刷り物も作られます。ただ当時流行した合戦画では水牛兜姿の長政抜きでは様にならず、また二十四騎図でも御用絵師が長政を描いた立派なものも残りました。

 このように武家や庶民の中で水牛兜姿の長政像は、合戦での武功の顕彰だけでなく、筑前国内の平和と繁栄(はんえい)や、子供の健康、家業(かぎょう)の安全を祈る崇敬(すうけい)や信仰の対象となっていきました。 (又野 誠)

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(入館は17時まで)
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休館日
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