鬼は滅(ほろ)びない―Demons Die Hard
令和3年4月1日(木)~6月13日(日)
◆ 護摩(ごま)を焚(た)く
『源氏物語』には嫉妬のあまり生霊(いきりょう)となって恋敵を悩ませる六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)という女性が登場します(出品9)。彼女の生霊を調伏(ちょうぶく)する際に護摩で焚かれたのが芥子(けし)です。当時、物(もの)の怪(け)を調伏するには護摩を焚くのが一般的でした。日本では、「鬼」という漢字は「オニ」と読まれるほか「キ」「モノ」とも読まれた時代があり、モノノケは広義の鬼と解釈されます。
「鬼」は中国から輸入された言葉で、元は目に見えない死者の霊や死者そのものを意味しました。福岡藩を代表する儒学者・貝原益軒(かいばらえきけん)も『日本釈名(にほんしゃくみょう)』(出品10)の中で、「おには俗にいはゆる幽霊の事也」と述べています。しかし「鬼」が日本に根付く途上でその概念が拡大、転用されると、死者ではなく人間、特に女性が生きながらに変じて鬼となる例が現れます。これが中世文学や芸能でしばしば取り上げられ、般若という凄絶かつ哀切な鬼女に洗練されました。「白般若」(出品11)は、『源氏物語』を主題とする能の演目「葵上(あおいのうえ)」で、高貴な女性が変じた鬼に用いられる面です。
さて、護摩を焚かれた六条御息所はというと、正気に戻ったあと、芥子の残り香で自らが調伏すべき物の怪と化していたことを悟ります。しかし自身の健康に害はなく、恥じ入りながらも後々まで恋敵の枕元に立ち現れます。護摩を焚こうが自省しようが、心の中の鬼は滅ぼしがたいのかもしれません。
◆薬を飲む
中国の古い医書には、鬼が引き起こす「鬼病(きびょう)」が数多く紹介されています。「鬼病」には呪符(じゅふ)や呪文を用いる呪術的治療のほか、投薬や鍼灸(しんきゅう)など医学的治療が有効とされました。中国医学では、治療を通じて「鬼」を「殺す」ことができると考えます。中国最古の薬物書『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』(出品13)にも、薬である「桃梟(とうきょう)」は「百鬼精物を殺す」と記されます。
「神農諸病退治図(しんのうしょびょうたいじず)」(出品14)は、薬と病を武将と鬼に見立て、組(く)んず解(ほぐ)れつ合戦する光景を描いた浮世絵です。薬と鬼が、合戦といういわば殺し合いをする発想には、中国医学の「鬼」観が影響しているのかもしれません。
薬を飲むことで、鬼を殺し、個々の患者を治療することはできます。しかし病因としての鬼まで滅ぼせるでしょうか。
◆追い立てる
北部九州には仏教行事の修正会(しゅうしょうえ)に由来する鬼追い行事がいくつか残り、福岡周辺には鬼に見立てた厄災を追い祓う正月行事「鬼(おに)すべ」が伝わります。上町天満宮(うえまちてんまんぐう)(西区今宿(いまじゅく))では、稲藁でつくる角(出品15・写真1)などを身につけた鬼役が、青年たちと攻防しながら家々を巡りますが、最後は境内の燃え盛る火の中に引き込まれ、松葉の煙で燻(いぶ)され、鬼すべ堂に追い込まれます。
散々な目に遭う鬼ですが、決して滅ぼされたわけではなく、毎年姿を現しては、また追われることを繰り返します。
■おわりに
様々な鬼の滅ぼし方をみてきましたが、結果としては、鬼を一時的に退けるものが多いようです。実は「大江山絵巻」では童子は滅びたと語られますが、鬼の眷属(けんぞく)は生け捕りにされます。滅ぼすという言葉を絶滅させることと捉えるならば、ここでも鬼が滅びたとは言い難いでしょう。仏教や朝廷の権威称揚を目的とする文脈で用いられる「滅」の字は、一種の誇張表現である点にも注意が必要です。多くの場合、おそるべき鬼は滅ぼすものではなく、繰り返し関わり続ける相手なのだといえます。鬼瓦や壱岐(いき)の鬼凧(おんだこ)(出品16)をみると、私たちは時に積極的に、「強さ」の象徴として鬼を利用してきたこともわかります。
鬼は強くおそろしいだけの存在ではありません。能において般若となった六条御息所は、怨みを表現しながらも僧の誦経(ずきょう)に唱和し、「地獄の底から救済を求める」鬼となった人間の哀しみを体現します(参考文献1)。対峙する鬼のなかに生きた人間を見出すとき、私たちは、初めてその心に寄り添うことができるのかもしれません。
博物館流の鬼退治とは、鬼を滅ぼすのではなく鬼を知ることだと考えます。すべての鬼を紹介するには至りませんでしたが、本展が身近な鬼を振り返るきっかけとなれば幸いです。 (学芸課鬼殺係)