墨蹟
令和6年7月30日(火)~10月6日(日)
戦国時代に茶の湯が盛んになると、禅に精神的な拠り所を求め、多くの茶人が参禅しました。利休(りきゅう)流茶道の秘伝書『南方録(なんぼうろく)』では、「掛物(かけもの)ほど第一の道具はなし。客・亭主共に茶の湯三昧(ざんまい)の一心得道(いっしんとくどう)の物也(なり)。墨跡を第一とす。其(その)文句の心をうやまひ、筆者・道人(仏道の修業をする人)・祖師の徳を賞翫(しょうがん)する也。俗筆の物はかくる事なき也。されども歌人の道歌など書たるを掛る事あり」と、茶掛(ちゃがけ)の重要性を説くなかで墨蹟をその随一とします。禅僧の手になる墨蹟は、一座建立(いちざこんりゅう)の本尊として、亭主と客を取り結ぶ精神的な象徴となりました。茶の湯の世界でもっとも有名な禅語といえば「喫茶去(きっさこ)」(図1)でしょう。唐代の禅僧・趙州従諗(ちょうしゅうじゅうしん)の故事により、禅の公案(こうあん)に用いられますが、茶席では誰にでも分け隔てなく「どうぞお茶を」と勧める真心(まごころ)を示しています。
禅僧の墨蹟は、肖像画や絵画の上部にも書かれました。肖像画の多くは、没後、故人を偲(しの)び供養するために描かれますが、親交のあった禅僧が像主の人柄や行跡(ぎょうせき)を称(たた)える賛文(さんぶん)を揮毫しました。戦国時代~桃山時代に活躍した博多の豪商・嶋井宗室(しまいそうしつ)に始まる嶋井家三代の肖像画(図6)には、宗室と懇意であった堺の豪商・津田宗及(つだそうぎゅう)の息で、大徳寺(だいとくじ)や崇福寺(そうふくじ)の住持(じゅうじ)を務めた江月宗玩(こうげつそうがん)が賛文を寄せています。
本展覧会では、館蔵コレクションのなかから、禅僧が認めた禅句(ぜんく)・偈頌(げじゅ)・尺牘(せきとく)(書状)・像賛(ぞうさん)等を紹介します。筆跡とともに、文字に込められた意味の深さに触れてみてください。
(堀本一繁)