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No.631

企画展示室4

福岡市無形民俗文化財指定・福岡県有形民俗文化財追加指定記念
大濱流灌頂と「大燈籠絵」

2026年8月18日(火)~ 10月18日(日)

はじめに
【写真3】大濱流灌頂の大燈籠
【写真3】大濱流灌頂の大燈籠
(大正時代から昭和9年/佐々木滋寛撮影)

【写真4】大燈籠絵(本能寺の変)
【写真4】大燈籠絵(本能寺の変)
(大濱流灌頂継承保存会蔵/福岡市博物館撮影)

 博多区大博町たいはくまちで行われる「大濱流灌頂おおはまながれかんじょう」が福岡市無形民俗文化財に指定されました。この行事の際には、道辻に畳4畳ほどの巨大な灯り「大燈籠おおとうろう」【写真3】が飾られ、そこには迫力ある武者絵などが描かれており、この絵を「大燈籠絵」【写真4】と称しています。この大燈籠絵は既に9点が福岡県有形民俗文化財に指定されていましたが、このたび、13点の大燈籠絵が追加指定されました。本展は、これらの指定を記念して、大濱流灌頂の歴史や行事の内容に加え、大燈籠絵について紹介するものです。展示を通して、地域の人びとが守り伝えてきた文化に関心を寄せていただければ幸いです。
 なお「大燈籠」「大燈籠絵」は、地域によって呼称が違います。本展では、「おおとうろう」「おおとうろうえ」の読みを採用しています。

◆博多を代表する死者供養
【写真1】法要の様子
【写真1】法要の様子
(令和7年8月26日/福岡市博物館撮影)

 7月から8月にかけて、博多の町々では、お堂や神社で夏祭りが盛んに行われてきました。無病息災や町内安全の祈願だけでなく、不慮の死を遂げた人びとの供養を目的としたものも多くみられます。大濱流灌頂は、これらの行事の中でも規模が大きく、また晩夏に実施されてきたことから「博多の夏祭の最後をかざる大祭」(佐々木滋寛『博多年中行事』)と言い表されてきました。
 大濱流灌頂は、伝承によると宝暦ほうれき5(1755)年の暴風雨による博多湾での海難や家屋倒壊によって亡くなった人びとや、翌年の疫病流行による死者の霊を弔うために供養を行ったのがはじまりとされています。
 現在は、8月24~26日の3日間に行われ、18~21時にかけて町内の「流灌頂通り」には、博多の絵師・海老﨑雪渓えびさきせっけい(1876~1941)などが手がけた迫力ある大燈籠絵を掲げる大燈籠4基のほか、家々の軒先には「今月今夜」と書かれた花笠灯籠が飾られます。「流灌頂通り」と交差する「ふれあい通り」の両側には、町の団体や企業などによる出店が並び、市内外から訪れる人で賑わいます。
 大濱流灌頂の期間中は毎日19時より、大博町1~6区集会所に設けられる臨時の施餓鬼堂せがきどう東長寺とうちょうじ(博多区御供所町ごくしょまちの僧侶による法要【写真1】が営まれます。現在では、海難や疫病で亡くなった人びとだけでなく、戦死者や水子みずこ(生を受ける前に亡くなった胎児や生後間もなく亡くなった子)のほか、初盆を迎える新仏など、この町に縁がある死者たちも供養の対象となっており、時代の経過とともに涵養かんようされてきたこの町の慰霊の在り様がうかがえます。
 最終日の26日には、法要前に施餓鬼堂の北東にある「那の津通り」沿いに建てられた享保きょうほうの大飢饉による死者の供養塔前でもお経があげられます。また同日21時より施餓鬼堂の前に精霊船しょうりょうぶね西方丸さい(せい)ほうまる」が設置され、祭壇の供物などを入れ、関係者による船の送り出しの法要が行われます。かつては浜辺に祭壇が設けられ、西方丸を博多湾に流していました。

◆大濱流灌頂と賑わい
ーつくりものと大燈籠ー
【写真2】大仕掛けのつくりもの
【写真2】大仕掛けのつくりもの
(大正時代から昭和時代/佐々木滋寛撮影/松源寺蔵)

 大濱流灌頂の歴史や様子を伝える資料はあまり残されていませんが、古い記録としては、江戸時代の地誌「筑前名所図会」(文政4・1821年成立)があります。書中には、「(前略)七月廿五日流灌頂の法事あり其夜ハ此辺の家々灯明茶菓を献じ偶人様の見セものを出してさなから盆中の賑ひに異ならず」とあり、この時代から死者供養の法要を営む傍らで、偶人(人形)が飾られるなど、賑やかさをともなう行事だったことがうかがえます。
 明治20~40年代の『福岡日日新聞』や『九州日報』などには、大浜地区一帯に妖怪屋敷や生人形、玉乗りなどの見世物や、氷店や饂飩うどん屋、玩具店などの出店が所狭しと並び、夜は通行もままならないほどの人出であったことが記されています。また、毎年町ごとに仕立てる趣向を凝らした大仕掛けのつくりもの【写真2】が評判で、新聞には標題が公表されることもありました。つくりものの人形は、山笠人形を流用することもあれば、博多人形師に制作を依頼することもあったようです。つくりものは、長きに渡って大濱流灌頂の賑わいをもたらす名物として親しまれてきましたが、昭和30年代には、次第に見られなくなりました。
 大濱流灌頂には、つくりものとともに賑わいを支えてきたもう1つの名物「大燈籠」があります。現在は、通りの4か所に大燈籠が飾られていますが、かつては旧大浜町内(博多区大博町と神屋町かみやまちの一部にいたるエリア)の道辻十数か所に飾られていたと伝わります。
 大燈籠の歴史については、福岡・博多で活動していた浮世絵師・一得斎高清いっとくさいたかきよ(生没年不詳・活動時期は明治12~31・1879~1898年)が制作した大燈籠絵【写真3】が現存しており、このことから、遅くとも明治時代中期には大濱流灌頂で大燈籠が飾られていたことが分かっています。
 大燈籠絵は、江戸時代から明治時代にかけて発行された小説の挿絵や浮世絵などを翻案ほんあんしたものが多く、内容におどろおどろしさを感じさせる合戦図や化物絵があります。こうした絵は、一得斎高清、宮本清秀(生没年不詳)、海老﨑雪渓など福岡・博多ゆかりの町絵師らにより制作されてきました。
 またバラバラの状態で保管されていた大燈籠絵【写真4】から、 薄い和紙を百数十枚継いで畳4畳ほどの大きさに仕立てていることが明らかになりました。さらに、大浜出身の郷土史家・三宅酒壺洞しゅこどう(安太郎)の記録から「人物の線描のふちには木蝋を塗り、あかりを中にいれると武者の姿が浮き出るように工夫」(三宅長春軒文庫「博多大濱流灌頂」福岡市総合図書館蔵)されていたことが分かってきました。
 戦争により大浜の大燈籠絵の多くが焼失したとされていますが、令和8年8月現在、現存しているものが22点、写真のみに残るものが2点確認されています。

◆大濱流灌頂とまちづくり
【写真5】浜友会による出店
【写真5】浜友会による出店
(令和7年8月25日/福岡市文化財活用課撮影)

 江戸時代から続く大濱流灌頂ですが、昭和30年代以降、名物のつくりものが中断、露天商による出店も数店となり、一時は大燈籠も中断し、賑わいを失っていた時期もあったといいます。昭和50年代、町の衰退に危機感を募らせた有志たちがかつての賑わいと歴史ある大濱流灌頂への誇りを取り戻そうと大燈籠を復活させました。平成時代には、大浜まちづくり協議会が町内の各組織に協力を呼びかけ、有志の会「浜友会」による出店【写真5】などの取り組みがはじまり、再び多くの人びとで賑わうようになりました。

(河口綾香)
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休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
2026年7月24日~8月23日の金・土・日・祝日と8月13日(木)は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※年末年始の休館日は12月28日(月)~1月4日(月)まで

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