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No.427

企画展示室4

甲冑に見る江戸時代展3
 ―福岡藩家老と支藩の家臣たち―

平成26年4月1日(火)~6月1日(日)

三、家老久野家ゆかりの甲冑
 久野(ひさの)氏の初代重勝(しげよし)は、姫路時代から黒田如水に仕え、博多復興にも参加しましたが、朝鮮の役で戦傷死します。その長子重義は、関ヶ原合戦のさいに黒田如水が、豊後大友(ぶんごおおとも)氏と交えた石垣原(いしがきばる)の合戦で戦死します。重義に最後まで従った6人の家臣たちも、一緒に戦死しています。久野家では、その後弟重綱(しげつな)が家を継ぎ、江戸時代前期で4500石の領地を保ち、その配下の50石以上の家臣は12人もいました。そして重義とともに戦死した家臣は、六神として、久野家の領地などで江戸時代を通じてられていました。久野家は主として江戸時代中期から家老になり、久野一親(かずちか)は藩内の文化振興を行った名家老と言われました。

四、家老大音家ゆかりの甲冑
 大音氏は美濃(みの)国出身で、初代重成(しげなり)は如水・長政に仕え、二代藩主黒田忠之の時から、二代重次(しげつぐ)が重臣として用いられ、島原の陣では戦功を立て、後には8000石を与えられ中老となりました。なお重成は、藩に対して島原で負傷し、従者に助けられたという報告を行っています。大音家も江戸時代中期から幕末までしばしば家老を出しました。

五、秋月藩家臣団の甲冑
 秋月(あきづき)藩は、黒田長政の次男・長興(ながおき)が、父の遺言で50,000石を与えられますが、兄・忠之は最初、弟たちが独立した大名となることを認めず、家臣として扱おうとしました。長興は江戸へ参上し、将軍徳川家光(とくがわいえみつ)のお目見えを受ける事で、大名として認められたと伝えられます。後に忠之とは和解しています。寛永(かんえい)14年の島原の陣では、本藩にしたがって出陣し、多くの戦死者や負傷者を出しました。そのため、藩主と家臣団の結束はかたく、200年後に島原の陣を振り返って、参加者の子孫の甲冑調査などを行い、それを絵画に記録し、屏風に描いています。

六、直方藩ゆかりの甲冑
 直方(東連寺)藩は、長政の三男高政(たかまさ)が遺言で最初の藩主となった藩で、島原の陣にも参加ましたが、高政は若くしてなくなり、その後は二代之勝(ゆきかつ)(三代藩主光之(みつゆき)の弟)、三代藩主長寛(ながひろ)(光之の次男で後の四代福岡藩主綱政(つなまさ))、と言う具合に、その時々の福岡藩主と血脈的に近く繋がる人物が藩主となりました。その関係で、福岡藩の藩主に戻ることも多く、家老級の家臣となると、その人物の若い時からの側近がその都度、任命されたようです。18世紀の初め、最後の四代藩主長清(ながきよ)(四代藩主綱政の弟)の子の菊千代(きくちよ)が福岡藩を嗣いで六代藩主継高(つぐたか)となったため、家臣団は福岡藩に復帰しました。 (又野 誠)

休館日

開館時間
9時30分~17時30分
(入館は17時まで)
※7月22日~8月26日の金・土・日・祝日、8月13日~8月15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
月曜(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※5月4日~5月6日は開館し、5月7日休館。
※9月21日~9月22日は開館し、9月23日休館。
※11月30日以降は設備等改修のため休館(2021年4月頃開館予定)
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pressrelease

Facata(博物館だより)

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