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No.433

企画展示室1・4

西鉄ライオンズと栄光の時代

平成26年7月23日(水)~9月28日(日)    企画展示室1(7月29日~)・企画展示室4(7月23日~)

球団旗ロゴ<
球団旗ロゴ
「ベースボールマガジン」
(1956年11月号)

はじめに
  福岡では、昭和26年(1951)に日本プロ野球チームである、西鉄クリッパースと西日本パイレーツが合併して西鉄ライオンズが誕生します。その後、西鉄ライオンズは、昭和31年 (1956) から33年にかけて日本シリーズ3連覇という偉業をなしとげました。
 当時の福岡は、経済成長が緒に就いたばかりで、まだまだ戦後の貧しさから抜け出してはいない頃。そんな街がライオンズの活躍に沸き、優勝に踊りました。東京から遠く離れた地方都市、だからこそ選手とファンの距離がとても近かったのです。西鉄ライオンズの黄金時代は貧しいながらもそんな幸福な時代だったのかもしれません。
 熱狂的なファンに支えられた西鉄ライオンズとその栄光の時代を探ってみたいと思います。

三原監督似顔絵
三原監督似顔絵
「ベースボールライオンズ」
(1956年新年号)

西鉄ライオンズの黄金期始まる
 昭和21年(1946)4月27日に8球団(阪神、巨人、阪急、近畿、中日、セネタース、金星、太平)による15回総あたりの長期ペナントレースが開幕しました。天才バッター大下弘(ひろし)や川上哲治(てつはる)、剛球別所毅彦(べっしょたけひこ)などの活躍で人気を呼びました。連合軍に接収されていた後楽園球場も使用許可になり、プロ野球は戦後の食糧難やインフレ・失業などに悩む庶民の間に急速にファンを広げていきました。
 そして、プロ野球がセ・パ両リーグに分裂してからペナントレースの折り返し点で、ファン投票でメンバーを選ぶオールスター戦が恒例となりました。ふだんは見られないリーグを異にする好投手と強打者の対決・・・それがドリームゲームとして人気を博しました。昭和26年7月に甲子園と後楽園でおこなわれた第1回は、観客動員は3日間で13万人を数えました。
 福岡県には、戦前から香椎、春日原、到津の三球場があり、それぞれ、博多湾鉄道汽船(きせん)、九州鉄道、国鉄門司鉄道局が所有していました。
 昭和17年(1942)には博多湾鉄道汽船、九州鉄道など5社の合併によって設立された西日本鉄道は、昭和18年にプロ野球チームである西鉄軍のオーナーとなりますが、同年シーズンオフには球団は解散しています。これが日本野球連盟が戦況悪化により活動を休止(昭和19年)する以前であったため、戦後すぐに球団を復活させることはできませんでした。
 昭和25年(1950)に日本のプロ野球が2リーグ制になって、福岡で西鉄クリッパースと西日本パイレーツが誕生します。その翌年にこの両チームが合併して誕生したのが、西鉄ライオンズです。西鉄ライオンズは、昭和31年(1956)から33年(1958)にかけて日本シリーズ3連覇という偉業を成しとげました。

休館日

開館時間
午前9時30分~午後5時30分
(入館は午後5時まで)
7月22日から8月27日のうちの金・土・日ならびに8月14日、15日は午後8時まで開館(入場は午後7時30分まで)
休館日
毎週月曜日
※月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館
8月14日、15日は開館、8月16日は休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで
pressrelease

Facata(博物館だより)

福岡市博物館

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