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No.449

黒田記念室

長政の手紙

平成27年4月21日(火)~6月21日(日)

図1 黒田長政像(部分)
図1 黒田長政像(部分)

 昨年はNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で盛り上がった福岡ですが、今年は息子の黒田長政(くろだながまさ)(1568年生~1623年没)(図1)です。長政は天下分(てんかわ)け目(め)の関ヶ原(せきがはら)の戦いで徳川家康(とくがわいえやす)に勝利をもたらした功績により、筑前(ちくぜん)のほぼ一国を与えられ、福岡藩(はん)初代藩主となり福岡城を築きます。今夏、開催する特別展「大関ヶ原展(だいせきがはらてん)」(会期8/7~10/4)では、東軍を勝利に導いた長政の活躍ぶりを紹介します。本展では、一足先に、長政の手紙を通して、長政の人となりを紹介します。  

 先ずは、長政が人生最期に遺した遺言状(ゆいごんじょう)(図3)です。死の二日前に重臣の栗山利章(くりやまとしあき)・小河正直(おごうまさなお)に黒田家の行く末を託したものですが、黒田家の徳川家に対する功績として、関ヶ原の戦いで家康が勝利し、天下人になれたことを、如水(じょすい)(官兵衛)と自身の活躍によるものと明言しています。関ヶ原合戦で東軍を勝利に導いたという長政の自負心が表れています。

図2 長政の朱印(史料6)
図2 長政の朱印(史料6)
図2 長政の朱印(史料6)

 次に、父如水に対する思いが垣間見える手紙をいくつか紹介します。長政が晩年、嗣子忠之(ただゆき)に宛てた手紙(図4)では、「如水のよき事を似せ申さるる儀は成り難(がた)く候べし。あしき事を似せざる様に心持ち有るべく候」と、如水の優れた点をまねようとしても難しい、悪いことをまねないようにすることだと諭してします。長政は如水の没後、如水への敬愛の表れでしょうか、如水の洗礼名シメオンを刻んだローマ字印を使用しています(図2)。如水は黒印として使いましたが、長政は朱印として使いました。長政は筑前入国後に福岡城を築きますが、築城を指示した家臣宛ての手紙(図5)では、石垣を築く場所について「たとえ如水御このみ相違候とも、前のごとくに申し付くべく候」と、築城へのこだわりと父如水への対抗心も垣間見えます。家康の征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)任官に随行した長政は筑前守に任じられますが、直後の慶長8年(1603)3月29日、如水に宛てて随行の状況と喜びを伝えています(図6)

 長政は晩年、眼鏡を使用していました。桃山時代から江戸時代初期に京都で活躍した刀工・金工師の埋忠明寿(うめただみょうじゅ)に眼鏡を再注文しています。長政は念を入れて至急調えるよう督促し、眼鏡をなくし困っていた様子が窺えます。また、長政は刀装具の注文を明寿に依頼しています。

 最後に長政の父親としての一面です。戦場で勇名を轟かせた長政ですが、嫡男で福岡藩二代藩主となる忠之の成長になみなみならぬ関心を寄せていました。長政は忠之に対して、手習いや食事の仕方、家臣への振る舞い方、他家との交際等、実に細々とした内容を、繰り返し忠之に諭しています。親としてかなり心配性であったようです。手紙の行間から、長政の人柄が見えてくるようです。 (堀本一繁)

図3 黒田長政遺言覚写(史料2)(部分)

図3 黒田長政遺言覚写(史料2)(部分)

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