展示・企画展示室2

No.510

企画展示室2

市美×市博 黒田資料名品展Ⅶ 黒田如水の文芸 | 福岡市博物館

平成30年3月6日(火)~4月30日(月・祝)

4、如水が参考とした作品
黒田如水自筆書状 里村昌琢(しょうたく)(1574~1636、
紹巴の孫)に連歌の添削を依頼したもの。

6 黒田如水自筆書状 里村昌琢(しょうたく)(1574~1636、 紹巴の孫)に連歌の添削を依頼したもの。

 和歌や連歌の技法の一つに「本歌取(ほんかどり)」というものがあります。昔のすぐれた歌から語句・発想・趣向を引用して、複雑な内容を表現し余情や余韻(よいん)を残す技法です。如水が残した連歌の中にもそうした表現をいくつか見出すことができます。

 例えば、「福岡」という地名が初めて使われたとされる「如水公夢想連歌(じょすいこうむそうれんが)」(資料7)の中の「松・梅や末長かれと緑立つ山より続く里は福岡」という冒頭の歌についてですが、実は細川幽斎の紀行文「九州道之記(きゅうしゅうみちのき)」(資料8)の中に似た歌が登場します。それは「浪荒き 潮干(しおひ)の松の桂潟(かつらがた)島より続く海(うみ)の中道(なかみち)」というもので、志賀海(しかうみ)神社(福岡市東区)に伝わっていた歌とされています。下(しも)の句(く)の「山より続く」と「島より続く」が対をなしていることが分かります。

 他にもこの「夢想連歌」の中には本歌取りと思われる句が散見されます。「野寺(のでら)のかねのちかくきこゆる」は室町時代を代表する連歌師・宗祇(そうぎ)(1421~1502)が連歌書「老(おい)のすさみ」で紹介している「野寺の鐘の遠き秋の夜」という句を意識していると思われ、「槿(あさがお)のはなさくかきね色ふかみ」は鎌倉時代の謡曲集(ようきょくしゅう)「宴曲集(えんきょくしゅう)」に収録された「槿のはなさく垣穂(かきほ)の朝露(あさつゆ)、朝置霜(あさおきしも)の朝湿(あさじめ)り」によく似ています。さらに「たてならへてはかへる小車(おぐるま)」は、鎌倉時代の日記文学「弁内侍日記(べんのないしにっき)」に登場する「道憂(みちう)き程(ほど)に帰る小車」と、「野分(のわき)の後やなひく草むら」と「行かひもしけくなりぬる関(せき)むかへ」はそれぞれ「源氏物語」の野分と関屋(せきや)との関連性をうかがうことができます。

 如水が一人で百韻(ひゃくいん)(五七五の長句(ちょうく)と七七の短句(たんく)を交互に連ねて百句で一巻としたもの)をまとめた「如水公独吟(じょすいこうどくぎん)」(資料5)には里村昌叱(しょうしつ)(1539~1603、紹巴の娘婿≪むすめむこ≫)による添削(てんさく)が加えられていますが、その中の昌叱のコメントも本歌取りを意識したものとなっています。そこには「長恨歌(ちょうごんか)の心珍重候(こころちんちょうにそうろう)」とか「住吉の物語(ものがたり)の心哉(こころかな)、尤候(もっともにそうろう)」とあって、古歌や古典を参考にしていることが評価のポイントとなっていることが分かります。

5、文芸三昧の日々
12 辞世和歌短冊

12 辞世和歌短冊

晩年の如水は太宰府に住み、連歌屋(れんがや)を再興して、連歌師の木山紹印(きやまじょういん)を屋主(やぬし)に迎えて、天満宮の神職や家臣らと頻繁に連歌会を催しています。50代半ばを過ぎ、ようやく若い頃の願いが叶ったわけですが、幸せな日々もつかの間、慶長九(1604)年3月20日に59歳でこの世を去ります。

 おもひをく言の葉なくてつゐに行道はまよはしなるにまかせて

 歌の世界を満喫出来たのは最後の数年 過ぎませんが、思い残すことは何もない、という辞世の句に如水の達成感、満足感を読み取ることが出来るのではないでしょうか。
(宮野弘樹)

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