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No.572

企画展示室2(黒田記念室)

四君子 ―高潔なる植物画―

令和4年2月1日(火)~4月10日(日)

◇殿様の四君子

江戸時代には幕府の政策により、中国古来の倫理・政治規範である儒学が重んじられました。また、5代将軍徳川綱吉(とくがわつなよし)の頃から文事が奨励されたため、各藩の藩主たちも盛んに絵を学び、多くの四君子の作品を残しています。

 福岡藩4代藩主の黒田綱政(くろだつなまさ)(1657~1711)も幕府御用絵師であった狩野昌運(かのうしょううん)を召し抱えるなど、歴代藩主の中でも特に絵を好んだことで知られています。綱政の「竹図」は、まさにお手本どおりの筆法によって描かれた簡潔な作品で、昌運の指導によるものかもしれません。こうした藩主の手になる絵はしばしば藩士に与えられ、主従の絆を強める役割を果たすこともありました。

11 黒田長溥筆・鍋島直正賛 竹図・七言詩
11 黒田長溥筆・鍋島直正賛 竹図・七言詩

 福岡藩11代藩主の黒田長溥(くろだながひろ)(1811~87)と佐賀藩10代藩主の鍋島直正(なべしまなおまさ)(1814~71)の合作「竹図・七言詩」は、弘化2年(1845)に佐賀藩の迎賓館であった欄干茶屋(らんかんちゃや)で制作されたものです。直正は財政難に苦しむ藩を立て直し、近代化を推し進めた名君として知られていますが、詩の中で「胸中に竹有り、君知るや否や、直立して空を凌(しの)ぎ萬仭(ばんじん)高し」と、真っすぐに高みを目指して伸びる竹の心意気を称えています。四君子は一国の頂点に立つ藩主の心のありようを代弁するものでもありました。

◇亀井一門の四君子

 江戸時代中期の福岡藩の儒学者・医師で藩の学問所・甘棠館(かんとうかん)の祭酒(さいしゅ)(学長)を務めた亀井南冥(かめいなんめい)(1743~1814)や、その長男・昭陽(しょうよう)(1773~1836)、さらに昭陽の娘である少琹(しょうきん)(1798~1857)など、亀井家の人々は四君子の作品を数多く残しています。

 南冥は詩文と並んで墨竹図を好んで描いており、豊後の南画家で南冥とも親交のあった田能村竹田(たのむらちくでん)は「剣技弩張(けんぎどちょう)し英気紙表に溢出(いっしゅつ)す」(『竹田荘師友画録』)と、その力強い画風を高く評価しています。寛政10年(1798)12月の年記をもつ「竹図」もそうした作品の一つですが、南冥は寛政4年(1792)に幕府の学問統制(寛政(かんせい)異学(いがく)の禁(きん))のあおりを受けて藩から蟄居(ちっきょ)を命じられ、さらに本図を描いた年には福岡唐人町にあった甘棠館が焼失するという悲運に見舞われています。自賛「虚心(きょしん)に衆を容(い)れ、勁節(けいせつ)の賢を睎(のぞ)む」は、その時期の不屈の心境を竹になぞらえたものでしょうか。

 南冥の孫にあたる亀井少琹も、こうした祖父の苦難や父の清貧に甘んじる姿を見ながら成長したためか、極めて多くの四君子の作品を残しています。中でも天保2年(1831)春の奥書(おくがき)をもつ「詩画巻」は少琹34才の作品で、闊達(かったつ)な漢詩とともに蘭・菊・竹などが硬軟自在の筆づかいで描かれ、格調の高さが際立っています。蘭図に添えられた詩「離騒(りそう)を読まんと欲すれば月房(ぼう)に入る」(屈原の詩「離騒」を読もうとしたら部屋に月の光が入ってきた)も、蘭を屈原と重ね合わせる『芥子園画伝』の知識を踏まえたものですが、そこには少琹ならではの詩画一体となった清らかな世界を垣間見ることができます。 (末吉武史)

3 亀井少琹筆 詩画巻(部分)
3 亀井少琹筆 詩画巻(部分)
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休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

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