ふくおか発掘図鑑10~ミクロの考古学~
令和元年10月29日(火)~令和2年1月19日(日)
はじめに
福岡市では毎年数十件の発掘調査が行われ、その数は、これまでに2500件を超えています。発掘調査では、土器や石器・青銅器・鉄器・木器などさまざまな遺物が出土しますが、中には肉眼では見ることのできないほど小さなものも出土します。また土器や石器に残された微かな痕跡が見つかることもあります。
これらは、発掘現場から持ち帰った後、あらためて顕微鏡(けんびきょう)をのぞくことによって発見されます。今回は、そうした微細な遺物や痕跡などのミクロの世界を見学に行きましょう。
1 土をミクロする
遺物の多くは土の中に埋まっています。その中には、肉眼では見ることができない多くの情報が含まれています。つまり動植物などの微細な痕跡を調べることによって、 当時の自然環境や生活の一端を復元することができるのです。
〇鴻臚館(こうろかん)の便所
1990年、福岡の鴻臚館跡で、日本で初めて古代の便所が発見されました。見つかった遺構は、深さ4mという大変深い穴です。穴の中から、便に混じっていたと思われる瓜の種や、籌木(ちゅうぎ)と呼ばれる便をこそぎ落とす棒が大量に出土し、この穴が、便所であると推測されました。その後、穴の中の土を顕微鏡で見たところ、いろいろな寄生虫が発見されました。人間や動物などの内臓に寄生する虫が見つかったことが、これらの穴が便所であるとの決め手になりました。
〇花粉
発掘調査された土に科学的処理を施すことによって、土の中に残っていた花粉を抽出することができます。出土した花粉を調べると、当時どのような植物が繁茂していたのかがわかります。
西区元岡(もとおか)・桑原(くわはら)遺跡群第42・52次調査区の花粉分析では、約1万2千年前頃にはコナラ・ハンノキなどの樹木が分布してることがわかりました。これらの樹木は冷温帯落葉広葉樹と言い、今の九州では山地帯を中心に分布しています。当時の福岡は今より寒かったと考えられるのです。
〇プラント・オパール
プラント・オパール(植物珪酸体)とは、植物の細胞に珪酸が蓄積されたもので、植物によっては特異な形態を保って土の中に残っています。特にイネなどの栽培植物を調べるのに効果的です。かつて水田があった土地では、イネのプラント・オパールが土の中に多量に残されています。
2 遺物に残された痕跡を探る
〇土器に残った生き物の痕跡
土器は粘土をこねて形を作り、高い温度で焼くことによって製作されます。粘土をこねる際には、様々なものを混ぜたり、あるいは混ざったりしますが、それらが可燃物であれば、土器を焼くときに一緒に燃えてしまい、粘土の中に元の形を保ったまま空洞として残ることになります。その空洞をシリコンで型に取り、それを顕微鏡で見ると、燃えてしまった元の形を見ることができます。
その結果、土器の中には様々な植物・虫などがねりこまれていたことがわかりました。特に縄文時代晩期頃の土器に、イネやソバなど栽培植物の実の痕跡があることがわかり、その頃には農耕が始まっていたことがわかりました。
〇鳥の羽
長垂山(ながたれやま)古墳群7号墳から「三尾鉄(さんびてつ)」という冑(かぶと)を飾るための部品が出土しました。三尾鉄は全国的にみても出土例は多くありません。この三尾鉄に何かの有機物の組織が残っているのが確認でき、電子顕微鏡で観察した結果、鳥の羽の組織によく似ていることがわかりました。三尾鉄の三本の突起には後ろに向かって鳥の羽を着けていたと思われます。戦いのときに風になびく鳥の羽が華麗で勇ましかったことでしょう。