展示・企画展示室

No.587

企画展示室2 黒田記念室

描かれた黒田如水・長政展

令和5年1月17日(火)~3月19日(日)

如水(孝高)公像
如水(孝高)公像

 令和4(2022)年は初代福岡藩主黒田長政(くろだながまさ)が没(ぼっ)して400年(1568〜1623)でした。この展示では福岡藩祖黒田如水(じょすい)(1546〜1604)とその息子・長政について、生前から没後、さらには後世(こうせい)にかけて、二人の姿や人となりを残そうとした数々の肖像(しょうぞう)や絵画を、本館の収蔵品の中から紹介します。黒田如水は名を孝高(よしたか)といい、播州(ばんしゅう)姫路(ひめじ)(現兵庫県)の出身で、羽柴秀吉(はしばひでよし)に従い、豊臣(とよとみ)時代天正16(1588)年に豊前(ぶぜん)中津(なかつ)にうつり、翌年長政に家督(かとく)を譲(ゆず)って隠居します。

 秀吉死後の関ヶ原(せきがはら)合戦(かっせん)で、長政は東軍の徳川家康(とくがわいえやす)に従い勝利に貢献(こうけん)し、筑前国(ちくぜんのくに)ほぼ一国を与えられ初代福岡藩主となりました。如水も九州の西軍と戦い勝利を得ています。

如水像を訪ねて

 慶長(けいちょう)9年に如水が没し、黒田家や家臣は彼を偲(しの)んでいくつも肖像を描かせました。まず黒田家に伝わった肖像(福岡市美術館蔵、展示は複製)の一つは、隠居姿の如水が白頭巾(しろずきん)に紺(こん)の縞柄(しまがら)の道服(どうぶく)を着、薄物(うすもの)を羽織(はお)っています。足を崩し左肘(ひだりひじ)で脇息(きょうそく)にもたれ寄った姿のため、黒田家では後にこの肖像を「寄几(きき)」の図と呼びました。生前の細めの風貌(ふうぼう)と衣装の描写から、京都画壇(がだん)の長谷川(はせがわ)派の筆によるとされます。この姿の肖像は菩提寺(ぼだいじ)の崇福寺(そうふくじ)(福岡市博多区)や如水の有力家臣が建てた寺院などに伝わり、如水像の基本となっています。

 黒田家には、如水に最も頼りにされた重臣・栗山備後(びんご)創建(そうけん)の円清寺(えんせいじ)(朝倉(あさくら)市杷木(はき))にある如水像を、江戸時代に写した肖像もあります。右肘で脇息にもたれ、顔は目が大きく、丸みを帯びた穏やかな顔になっています。円清寺の原画の肖像の賛(さん)(絵や人物をほめる記述)には、当初、如水がキリスト教に入信していたことが記されていましたが、後世に抹消(まっしょう)されました。黒田家にのこる写しには、その部分が空白になっています。

 もう一つ黒田家に残された肖像に、如水が胡坐(あぐら)できちんと座っていることから、「端座(たんざ)」の像と呼ばれるものがあります。18世紀後半以後の写しですが、絹(きぬ)に描かれ、大切にされていました。黒田家にはかつてこの如水端座像とおなじ図柄の肖像を、明治42(1909)年、如水と長政を祀る荒戸(あらと)の光雲(てるも)神社(現福岡市中央区)へご神体(しんたい)として奉納しています。

 戦前に行われた調査では、作者は17世紀後半の黒田家の御用絵師・小方(おがた)氏(のちの尾形氏)とされました。展示した黒田家の端座像は、光雲神社像の控えか原本に近い写しと思われます。なお光雲神社の如水像は、黒田家が同時に奉納した長政の衣冠束帯像とともに、戦前の国宝でしたが、昭和20(1945)年6月19日の福岡大空襲で焼失しています。

黒田家の誇る長政像

 黒田家に残されたものに、長政の法号のついた道卜居士(どうぼくこし)像があります。

 関ヶ原合戦前後から長政は、如水と親交のあった京都の禅僧・春屋宗園(しゅんおくそうえん)を師(し)として参禅(さんぜん)し、師との禅問答(ぜんもんどう)のなかで、「狗子仏性」(犬は仏をさとれるかどうかの問い)から自分の体験を省(かえり)みました。その体験を記憶に留めるため、長政は衣冠束帯の立姿で師を訪れるこの参禅図を描かせ、春屋(しゅんおく)に賛(さん)を記してもらい大徳寺(だいとくじ)龍光院(りゅうこういん)に収めました。「黒田家譜(くろだかふ)」には、長政が死去する前月の元和(げんな)9年7月、同寺からこの絵を病床(びょうしょう)の自分の枕元(まくらもと)に取り寄せ、しみじみ眺(なが)めながら一生を顧みたとする逸話(いつわ)が記されています。黒田家に残されたこの絵が、その時の取り寄せた絵なのか、その精巧(せいこう)な写しなのかは解明されていませんが、まだ若い長政の風貌(ふうぼう)の面影としてしられています。

長政公馬上御像
長政公馬上御像

 長政は同年8月に死去しますが、それから数年を経(へ)ず描かれた彼の騎馬姿は、激動の時代を生き抜いた武将像として有名です。関ヶ原合戦でかぶった一の谷形兜(いちのたになりかぶと)と黒漆(くろうるし)の五枚胴桶側具足(ごまいどうおけがわぐそく)を着用し、愛馬大鹿毛(おおかげ)に乗った姿、黒田家では「甲冑騎馬」の像と呼び習わされていました。賛は、春屋のなきあと黒田長政に請われて崇福(そうふく)寺の住持(じゅうじ)となった江月宗玩(こうげつそうがん)の漢詩と、幕府に仕えた儒学者・林羅山(はやしらざん)が長政の墓碑に書いた漢文が併記され、長政の文化的な面の親交がうかがえます。

 このほか本館には、黒田家伝来ではありませんが、長政が死の前に禅の悟りを開いた姿を伝えるものとして、頭巾をかぶり法衣(ほうえ)をまとい、法杖(ほうじょう)で顔をささえた肖像があります。画面上部には家臣毛利氏が依頼した、剣を以て世を平らげた長政を讃える賛が記されます。これは崇福寺の長政像と図柄が同じであることから、同じ絵師の作とみられています。

 なお、江戸時代前期には長政が衣冠束帯(いかんそくたい)で端座(たんざ)する像も描かれ、以後の歴代藩主の没後に描かれた衣冠束帯像の先駆けになりましたが、黒田家にあったものは前述のとおり福岡大空襲で焼失し現存しません。

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