展示・企画展示室

No.592

企画展示室4

土器niどきどき−つくる・つかう・はこぶ−

令和5年3月28日(火)~6月11日(日)

土器をつかう






 土器に煮炊(にた)き具(ぐ)や貯蔵具(ちょぞうぐ)などがあることは教科書でも紹介されています。土器による調理で最も一般的にイメージされるのは、縄文時代のシチューのような調理でしょうか。縄文時代の調理用土器は、弥生時代のそれよりも大型のものが目立ちますが、外側には火を焚(た)いた煤(すす)が、内側には煮込んだ食料が焦(こ)げついた痕跡が残り、確かに使用したものとわかります(写真4)。





 弥生時代に水田稲作が伝わると、炊飯も土器で行います。九州北部で弥生時代の初め頃に普及する新しい形の煮炊き用土器(「板付式(いたづけしき)」と呼ばれます)は、縁(ふち)が外側に張り出す特徴があり、蓋(ふた)をかけやすい、持ちやすいなどの点で炊飯に適した形態です(写真5)。炊飯用土器では、拭きこぼれた水滴が土器の外側をつたい、その部分だけ煤が取れ、痕跡として残ることがあります(写真6)。また、内側に焦げ付いた米の痕(あと)が残ることもあります。

 食器の用途をもつ土器もあります。弥生時代の終わり頃の様相を伝える、いわゆる『魏 志倭人伝(ぎしわじんでん)』には、倭人は「高坏(たかつき)(長い脚台がついた器)を用いて、手づかみで飲食する」ことが記されます。弥生時代の高坏は大型品が多く、複数人で共有して使用したのでしょう(写真7)。

 古墳時代になると、小型の食器が中心となり、個々人それぞれに配膳(はいぜん)されるようになったようです。このように、土器の変化をみることで、当時の食卓風景まで想像できるのです。

 7世紀以降、日本では国家の整備に伴って中国の隋(ずい)や唐(とう)の文化を取り入れ、上位階層は匙(さじ)や箸(はし)を使うようになります。一般的な食器も中国様式を取り入れて変化しました。そうした変化の背景として、外交使節を正式な作法でもてなす目的もあったようです。

 その後、中世に箸を用いる食事文化は庶民(しょみん)まで広く普及し、埦や坏(つき)、皿を用いる現代に近い食器のセットになりました。

土器をはこぶ

 考古学の展覧会では、朝鮮半島や国内の他地域から運ばれた土器がよく展示されます。器形や文様、作り方などが現地の土器と異なる場合、そのように判断できるのです。それらの土器は地域間交流などを示すものとしてよく展示されますが、なぜ運ばれたかはあまり言及されません。それが貯蔵具ならば、内容物も一緒に運ばれることもあったでしょう。

 例えば、朝鮮半島から運ばれた土器の中で、口が狭いものは液体を入れる容器と考えられます(写真9)。単純に水筒とも考えられますが、もしかすると朝鮮半島独自の調味料、あるいは酒を入れて運んだものかもしれません。海外に行くと、自国の味が恋しくなります。古代の人々もきっと同じでしょう。(朝岡俊也)

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