平成11年7月13日(火)~平成11年9月19日(日)
3 福岡市出土の古代文字史料
福岡市内の遺構から、奈良・平安時代の木簡や墨書土器など、古代の文字史料がかなりの数発見されています。これらの文字史料によって出土した遺構の性格や年代を正確に知ることができます。このコーナーでは、出土した文字史料によって、その性格を推定することができる遺構=官司(かんし)(役所)、寺院、工房、瓦窯などの代表的なものと、そこから出土した各種の文字史料を紹介します。
(4)博多遺跡群出土の「長官」銘墨書土器(築港線2次) |
(1)宮司(役所)
博多遺跡群(博多区)からは、役人が使用した石帯(せきたい)や硯とともに古代の役人の官職を表す「長官」(写真4)や「佐」銘の墨書土器が出土し、奈良時代の博多部にも何らかの役所が存在していたと考えられます。また、海(うみ)の中道(なかみち)遺跡(東区)からは、役人使用のベルトの金具や銭貨とともに墨書土器・ヘラ書土器が出土し、製塩遺構を伴った、鴻臚館や大宰府に食料を供給した津厨(つのくりや)と推定されています。
(5)高畑廃寺出土の「寺j銘墨書土器 |
(2)寺院
高畑廃寺(たかばたけはいじ)(博多区)からは、「寺」(写真5) 「門」「浄人」などの寺院や僧侶を表す墨書土器や木簡・墨書木製品などが出土しています。また、三宅廃寺(みやけはいじ)(南区)からは、同じく「寺」「造寺」「堂」などと書かれた墨書土器や「佛」などと刻まれたへラ書土器が見つかっています。これらの文字史料によって、旧那珂郡(なかぐん)内のこれら遺構が、奈良~平安時代の寺院跡であったことが明らかになりました。
(3)工房
九州大学移転予定地の元岡(もとおか)遺跡群(西区)では、製鉄炉・鍛冶炉(かじろ)が発見され、「壬辰年韓鐵」(飛鳥時代の692年か)銘の出土木簡は鉄の原料を運ぶための荷札と考えられます。また最近、役人が使った円面硯や計量用の石の重(おも)りとともに「嶋里(しまのり)」「里長(りちょう)」などと記された木簡が出土し、元岡遺跡群は飛鳥時代から平安時代の製鉄工房と、生産された鉄の集荷を行う公的な施設の遺構と推定されます。
(6)斜ヶ浦瓦窯跡採集の「警固」銘平瓦 | (7)相ノ島沖引揚げの「警固」銘平瓦 |
(4)瓦窯
西区の斜(ななめ)ヶ浦瓦窯(うらがよう)では「警」「警固」銘(写真6)の瓦が出土しており、一方、玄界灘の相(あい)ノ島(しま)沖からは「警固」銘平瓦(写真7)が引揚げられ、平安京からも同じ「警固」銘瓦が出土しています。斜ヶ浦瓦窯で焼かれた「警固」銘瓦は、鴻臚館や海上ルートで平安京へ運ばれたと考えられ、これらの文字瓦によって実際の瓦の移動状況を知ることができます。
(林 文理)