平成12年4月11日(火)~6月4日(日)
13 お歯黒道具 |
12 能面 曲見 |
闇と黒
谷崎潤一郎は、日本の伝統的な美意識を論じた著書『陰影礼賛(いんえいらいさん)』の中で、既婚の女性が白い歯を黒く染めるお歯黒は、身体の中に闇を取り込むためのものという解釈をしています。それは薄暗い日本家屋のさらに奥まった闇が支配する室内空間と、ほとんど外出しない生活が育んだ独特の美学といえるでしょう。
能面、特に女面はこうした伝統的な身体の中の闇のイメージを伝えています。紅が引かれた薄い唇がほのかに開き、そこからお歯黒の小さな歯が垣間見えます。それは口というより確かに顔の中心に現れた闇のようです。長い黒髪に縁取られた白い顔。その中に出現する闇。このような女性美に対する感性は、現代の我々とはかけ離れたものかもしれません。外光をふんだんに取り入れた明るい室内や、真っ白な歯をよしとし、清潔感や健康美を礼賛する現代人の感覚が、幽玄な黒をなるべく遠ざけようとするのも無理もないことです。
23 瑞亀文蒔絵洋櫃 |
14 義経記五條橋之図 |
また黒と闇に象徴されるもうひとつの世界があります。それは人の心の奥底にある闇です。江戸時代末期から明治時代にかけて活躍し、最後の浮世絵師といわれた月岡芳年(つきおかよしとし)(1839~1892)は、近代社会が忌避し、否定しようと躍起になった前代の闇を描き続けた画家でした。そして彼の作品ほど効果的に黒を使った浮世絵もまれです。今回の展示では、「東錦浮世稿談(あずまにしきうきよこうだん)」や「和漢百物語」など江戸末期のシリーズ物を中心に、黒が印象的な作品をいくつか選びました。闇の中から立ち現れる物の怪や、闇夜に展開する出来事は、伝説と怪異を卓抜した構図でドラマチックに表現する芳年ならではの世界です。彼が使うべた塗りの黒こそ、陰影の部分でさえ黒を用いない西洋絵画の伝統と対極の位置にある表現といえるかもしれません。
日本の黒
漆黒という言葉があるように、漆の黒はそれだけで独特の美しさを持っています。そこに金蒔絵で様々な文様をほどこした漆器は、洗練された江戸の工芸美を代表するものであり、黒を用いた豪華な装飾として日本独自の造形感覚をみせるものです。今回展示している刀箱と能面箪笥は、どちらも筑前黒田家のもので、大名の好みを反映した意匠です。
一方、ヨーロッパでは陶磁器のことをチャイナと呼び、漆器のことをジャパンと呼ぶほど、日本の漆器は愛好されました。古くは南蛮貿易によってかの地へもたらされた南蛮漆器があり、新しくは江戸末期から明治時代にかけて輸出用として制作された長崎漆器などがあります。特に長崎漆器は、注文によって西洋的な形態の家具や箱に蒔絵や螺鈿細工がほどこされたもので、西欧の人々の趣味が直接的に反映しています。ヨーロッパからすれば、これこそ日本的な配色と感じられるのでしょうが、いかにも華美でどこか中国的でもあり、黒の印象も先にあげた金蒔絵の漆器の黒とは一線を画しています。
日本の漆の黒は、本来豪華な装飾であってもどこか落ち着いた暖かみがあり、伝統が育んだ深みが感じられる色彩なのです。
最後に、開催にあたりましてご協力を賜りました山口睦典氏に心より感謝申し上げます。
(中山喜一朗)