平成12年6月6日(火)~8月6日(日)
薙刀 名物権藤鎮教 |
刀 名物安宅切 |
7.重要文化財 刀 名物安宅切(あたきぎり)
拵の金霰鮫青漆打刀拵(きんあられさめあおうるしうちがたなこしらえ)は、金工材料は柄(つか)の縁(ふち)に赤銅(しゃくどう)、頭(かしら)に金、鍔(つば)は鉄、鞘(さや)には金、鐺(こじり)に銀を使用し、色彩は柄に朱、つまみ巻は茶、鞘は緑と金色というようにたいへん豪華絢爛なもので桃山時代を反映した拵である。はばきに「小判明寿」の針書があり、これからこの拵が埋忠明寿(うめただみょうじゅ)監修のもとに制作され、なおかつ明寿の改名年と如水の死亡年から慶長3年から9年(1598~1604)の間に制作されたと考えられる。なお、刀身の「安宅切」は『御当家御重宝故実』によれば、天正9年(1581)の羽柴秀吉の淡路由良城攻めのときに、黒田孝高がこの刀にて城主の安宅貴康を討ち取ったのでこの名があるとのこと。中心(なかご)に「あたき切脇毛落」の金象嵌(きんぞうがん)銘あり、また銘から大永4年(1524)に備前(岡山)の長船祐定が制作したことがわかる。
8.刀 大船兼元
兼元は室町時代後期を代表する刀工。とくに2代目兼元は「関の孫六」の名で有名 。この刀は兼元の作中では寸法が長いほうである。
9.脇差 名物碇切(いかりぎり)
『名物三作』には、黒田如水がこの刀で碇を切って舟を出港させたのでこの名がついたとあり、『御当家御重宝故実』には、長政が碇の下に屈みこんだ敵を碇ごと切ってしまったのでこの名があるという。のち2代福岡藩主の忠之が脇差に磨り上げた。
10. 薙刀(なぎなた) 名物権藤鎮教(ごんどうしずのり)
『名物三作』には、豊臣秀吉の朝鮮出兵のおりに、如水めがけて襲いかかってきた虎を、家臣の権藤某がこの薙刀で仕留め如水を救ったので、以後この薙刀は黒田家の家宝になったとある。
一方、『御当家御重宝故実』によれば、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いのとき、日向(宮崎)の高崎城主高橋右近は西軍について大垣城にあり、その留守は家臣権藤平左衛門が守っていた。一方、同国の飫肥(おび)城主伊東祐隆は東軍について大坂にいたが病気のため、黒田如水に子息祐慶のことを頼んで死去した。如水は家臣宮川半左衛門を飫肥城に派遣し、祐慶に高崎城を攻めさせた。豪勇の権藤平左衛門はこの薙刀で奮戦するも力尽き自害した。伊東方より落城の始末を如水に報告し、この薙刀を贈ったとある。
(田鍋隆男)