平成12年6月6日(火)~8月6日(日)
曲見 |
能面の材質と大きさ
能面は、室町時代や桃山時代までは桐(きり)材など様々な木材で制作されていたが、江戸時代からは檜(ひのき)材を用いて制作されるようになった。世襲の面打師の家である出目(でめ)家が、家元の格式を幕府から認められ、檜材が入手しやすくなったためであり、以後は能面の材は檜に統一されることになる。檜は軽くて彫りやすく、狂いもなくて上からほどこす塗りもよく乗るので最良の木材だった。
面の表面は胡粉(ごふん)で下地を整え、その上から顔料を用いて目や口を描き込む。この彩色は表情を創出するために極めて重要で、能面はいわば彫刻と絵画の両面の要素をもった造形といえるだろう。
大きさは、若い女の面である小面(こおもち)の、縦が7寸(21.2センチメートル)、横が4寸5分(13.7センチメートル)、奥行2寸3分(6.9センチメートル)を基本としている。作者や面の種類によって多少の違いはあるが、およその大きさは統一されており、顔全体を覆うのではなく、演者の顎(あご)などが露出するところに仮面としての特徴がある。
また、能面をただ面と呼ぶ時は、オモテと読む。
能面の種類
能面の種類は、南北朝の世阿弥(ぜあみ)の時代には「翁、鬼、年寄りたる尉(じょう)、悪尉、笑尉、顔細き尉、男、若男、女、年寄りし女」(「申楽談義(さるがくだんぎ)」)などと記されるようにそれほど多くはなかった。それが分類され整理されたのは室町時代末期から桃山時代にかけての頃で、翁系、鬼系、尉系、男系、女系と5種の系統のもと多様な名称が現れる。このことは、役に応じた種々の面がその頃から大量に制作され始めたことと無関係ではない。 現在では、能面の分類に定説はないが、老若男女、神仏、鬼畜から妖怪変化まで、大別しても80種にのぼり、変形面を入れると250種とも300種ともいわれる。ただ全ての種類の面が必要なわけではなく、これらのうち、約70種あればほとんどの曲を上演できるという。
能面の名称
能面の名称の付け方にも特色があり、制作状況や能独特の世界が窺われる。
「小牛尉(こうしじょう)」や「石王尉(いしおうじょう)」「三光尉(さんこうじょう)」などは、同じ尉の面であるが、それぞれに創作者の名をいただいたもので、形や表情には違いがある。これらの名称は、面打師が最初に創作した面(本面)
があり、それが一種の型となり、これを写したものが流布していくという面打ちの状況を反映している。例えば「小牛尉」は、15世紀頃の大和の面打師で老人の面である尉面に優れた作品を残した小牛清光が創作したもので、これを写した後代の面も「小牛尉」と呼ぶのである。
また「曲見(しゃくみ)」や「顰(しかみ)」「べし見(み)」など表情の特徴を名称であらわしたもの、年齢性別による「若男」や「若女」などは造形的な側面からの呼称である。これらはまた様々な役に広く使われることを暗示する。こうした面があってこそ少ない種類で多様な曲を上演できるのである。その代表は「小面」や「若女」と呼ばれる若い女面であろう。同時に、こうした女面こそ、能面の美しさを凝縮したものと評されている。逆に能の曲名と同じ名称のついた「頼政」や「俊寛」「山姥」「弱法師(ようぼうし)」などは、その能一番だけに使われる専用面で、「一番物」と呼ばれる面である。
さらに能の世界独特なのは、同じ若い女の面であっても、金春(こんぱる)流は「小面」と呼び、観世流は「若女」、宝生(ほうしょう)流は「節木増(ふしきぞう)」、金剛流は「孫次郎」、江戸初期に金春流からわかれた喜多流は金春流と同じく「小面」と呼ぶことであろう。それぞれ造形的にも微妙な違いはあるが、流派によって独自の芸風と様式美を追求する姿勢が能面の呼称に表れているのである。