平成17年6月14日(火)~8月21日(日)
職人の“かた”
各種の型 |
現在のように、機械で大量生産が行われるようになる以前は、手仕事が主流でした。それに携わる職人たちは、さまざまの技術を“かた”として残す工夫をしてきました。そのひとつが、蝋型(ろうがた)や菓子型などの「型」です。一つの「型」によって、まったく同じ製品をいくつも作り出すことができ、さらに、その形を次世代に伝えることができました。
しかし、「型」を使う技術については、これとは別に、人から人へという経路が必要でした。そこには、微妙なコツがあり、「型」だけでは、“かた”は継承できなかったのです。これが職人技といわれる所以(ゆえん)です。
人生の“かた”
私たちの人生には大きな二つの“かた”があります。すなわち「晴(はれ)」と「褻(け)」です。
「褻」とは普段の日常生活。対して「晴」は、冠婚葬祭(かんこんそうさい)や節供などの人生の節目節目の儀式などをさします。このような日は、形や身振りのすべてが普段とは異なりました。
この「晴」の“かた”を伝える工夫もありました。女児の三月節供には、博多ではオキアゲと呼ぶ押し絵人形を飾りました。その下絵は、代々の女性たちが後世に伝える“かた”となりました。また雛道具やままごと道具は、子どもたちが生活の技術や人生の意味を、遊びながら身につけるための“かた”だったのです。
オキアゲと下絵 |
“かた”を見る ー形から型へー
形見の張り子の虎と型 |
「形」は目にみえるものです。そこから形のないもの、つまり精神性へ向かうことそれが「型」でした。
「形見(かたみ)」という言葉があります。それは亡くなった肉親や知人たちの遺品です。人によって違いますが、多くの場合、着物や帯など、故人が身につけていたものが使われました。また、職人の道具などが使われることもありました。これによって、在りし日の親や親しい人の姿形や思考を「見る」ことができました。すなわち 「形」を通して「型」を観念することことになります。そこに“かた”の神髄(しんずい)があります。
私たちの生活を見渡して、この“かた”がどんな役割を果たしているのか考えてみることは、21世紀を生きるうえで、意味があるように思えます。
(福間裕爾)