平成18年5月23日(火)~7月17日(月・祝)
「防空」の中身 その1 灯火管制
灯火管制は夜間、偵察や空爆のために飛来する敵の航空機に、家屋の灯りが見えないようにすることです。警戒管制と空襲管制があり、必要最低限のものを残して灯りを消す「消灯」、部屋の灯りを暗くする「減光」、灯りが外に漏れないようにする「遮光(しゃこう)」の3種がありました。家庭では、雨戸のない窓や照明器具の覆いを黒布で手作りしたほか、「防空カバー」「愛国カバー」などの名で発売された、厚紙製の照明器具カバーを購入したりしました。
「防空」の中身 その2 防火
焼夷弾が投下された場合の対応。「防火」と言っていますが、内容は「消火」と延焼を防ぐという意味の「防火」。ここでは各家庭での消火活動と、隣組や町内会組織を利用した「防火群」「消火班」について述べられており、各自の自覚と、消火・防火のために家庭にあるものを活用する工夫、さらに防火群などによる共同消火作業で、延焼は十分防ぐことができる、と説明されました。原則として事前の避難は認められませんでした。
「防空」の中身 その3 防毒
毒ガス兵器が使用された場合の対策。特に、呼吸が困難になる窒息性ガス(ホスゲンなど)と、触れると皮膚や内臓がただれる糜爛性(びらんせい)ガス(イペリットなど)について、避難や救護・手当法を説明しています。毒ガス兵器は第一次世界大戦中の1915年にドイツ軍がベルギーのイープル附近で塩素ガス(イペリット)を使用したのが最初で、1925年には兵器としての使用が禁止されていました。しかし「防空法」では、各家庭に市民用防毒マスクを常備するよう指示していました。
福岡大空襲
昭和20年6月19日午後11時11分、福岡市上空に飛来したアメリカ軍のB29爆撃機221機から、約1,500トンの焼夷弾が投下されました。翌20日午前0時53分までのおよそ2時間の爆撃を「福岡大空襲」と呼んでいます。20日正午現在の被害は亡くなった人868人、けがをした人1048人、行方がわからない人107人、14,000軒余の家屋が全焼したと発表されましたが、実際の被害はこれを大きく上回ると言われています。
伝単「感激の握手」 |
空から知らされた「終戦」
日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏することは、昭和20年8月15日のラジオ放送で国民に知らされました。その直前の数日間には各地で、アメリカ軍の飛行機から小さなビラが撒かれ、日本は降服すべきであると呼びかけられていました。こうしたビラを「伝単(でんたん)」といい、特に戦争中は各国がお互いに情報を操作したり、相手の戦意を挫(くじ)くために利用しました。戦争が終わりに近いことを、伝単は知らせていたのです。
(野口 文)