平成21年2月24日(火)~平成21年4月19日(日)
(2)町人屋敷(加瀬(か せ)家の場合) 図2
加瀬家は福岡城下湊町(みなとまち:現中央区荒戸(あらと))で年行司(ねんぎょうじ)を務めた家です。酒造業の他、質屋なども経営しており、城下でも有数の大店(おおだな)でした。表間口2間(けん)余りで奥行きが15間ほどであった通常の町家(まちや)と比べると、その規模の違いが分かります。門をくぐると米つき場を備えた巨大な通り庭があり、正面には酒蔵があります。裏手にはさらに質蔵や道具蔵など多くの建物が並びます。居住空間も広く、表側だけでなく奧には2階建ての隠居屋敷も見えます。「加瀬家記録」には19世紀以降の土地集積と屋敷増築の様子がつぶさに記してあり、本図と併せて上層町人の経営拡大の過程が分かります。
図2 19、加瀬家屋敷図(トレース) |
図3 22、中村家屋敷図(部分) |
(3)農家(中村家の場合) 図3
中村家は桑原村(くわはらむら:現西区桑原)で村役人(むらやくにん)を務めた家です。農家の屋敷は農作業をするために、広い庭と土間(どま)を持ちます。福岡平野の農家は、屋敷と土間がL字型に並ぶ「鍵屋(かぎや)」という形式が多いとされますが、中村家の場合も6畳間と8畳間がせり出した鍵屋となっています。門は左右に土蔵と馬屋が建つ長屋門(ながやもん)で、庭には池も見られます。上層農民らしい屋敷の構造と言えるでしょう。