平成21年2月24日(火)~平成21年4月19日(日)
四、家への思い
福岡藩の儒学者(じゅがくしゃ)貝原益軒(かいばらえきけん)は「人の家居(いえい)は貧富によらず、身の分より少せばき(狭き)がよし。せばければつひえ(費え)すくなく、事すくなくして住よし」(「家道訓」)として、控えめな広さの屋敷を勧めます。また、「つねに居る処は、南に向ひ戸に近く明なるべし」(「養生訓」)として、居間には適度な日当たりが必要と述べています。他にも同様の記述は多く見られ、家に対する益軒の合理的な考え方が窺えます。
しかし、一方では、家を建築する際に吉凶の方角を家相鑑定家に見てもらい、その助言にしたがって間取りを決める風潮も存在しました。19世紀には家相関係の書籍も数多く出版されるようになり、活況を見せます。ただ、「方家図説(ほうかずせつ)」を著した賀茂保久(かもやすひさ)が述べるように、家相見(かそうみ)も各流派で諸説が乱立して、混乱状態にありました。
事実、町人の教訓書「町人嚢(ちょうにんぶくろ)」では、家相にとらわれることの愚(ぐ)を説いています。そこでは鬼門(きもん)こそが幸運を呼び込む方角だという極端な結論を導き出していますが、そうした意見を言わねばならないほど、庶民の生活に家相見が浸透していたのでしょう。
図4 博多の屋敷割の一例 |
おわりに
以上、江戸時代の福岡の住宅事情をごくかいつまんで紹介しました。屋敷に関する決まり、屋敷の構造からは、江戸時代らしく、身分による明確な違いがあったことが分かりました。また、町家や農家に関しては、種々の規制を受けつつも、それぞれの生業(生活)に合った構造を持っていた点も確認できたのではないかと思います。現代の住宅事情を考える上での参考になれば幸いです。
(宮野弘樹)