平成24年6月5日(火) ~8月12日(日)
はだか参り かざり馬 |
街路は都市の覗き窓
都市と農村という対比があります。これは都会と田舎という対比とほぼ同じです。都市と農村の人々の交流により、私たちの日常はできています。今でも、都市の百貨店や劇場などに、やってくるのは、周辺からの人々です。かつての都会の日常においては、農村からやってくる人々には、服装等にその特徴が現れていました。博多人に言わせれば、田舎の人はすぐに分かったといいます。風俗画には、街路を往来する都市と農村の人物を対比して、両者の違いを伝えているものもあります。都会の人波のなかからその記憶を選びだし、描くことができるからです。写真ではそうは簡単にいきません。
街路の生活を題材に描かれた風俗画は、ただの観察や博多のなつかしい生活の記憶であることにとどまりません。人の移動が都市の原動力であり、描かれた街路の往来からは商都としての博多の成り立ち、都会の人々の他者認識、おもてなしのあり方など形を持たないことなども窺(うかが)い知ることができるのです。
記憶を描く
記憶を描くとは、時間と空間、人の身振りと声、街の雰囲気などを、描き込むことでもありました。ユネスコの「記憶遺産」として選ばれた山本作兵衛(やまもとさくべえ)の炭坑絵などは、これまで述べてきたような、記憶を描く特徴が如実に表れているといえます。絵のなかに炭坑関係の機械の構造図が入ったり、坑内で厳しい労働が文章で綴られたりと、写真よりもはるかに情報量が多いのです。この炭坑絵も、炭坑閉山後に描かれたもので、記憶を描いたものといえるのです。今回紹介した祝部至善の「博多風俗画」も、明治時代の博多の何気ない街路の日常を、昭和30年代に思い起こして「記憶」によって描き、後世に伝えたものです。そういう意味では、祝部至善の博多風俗画も「記憶遺産」ということができると思います。
(福間裕爾)