展示・体験学習室

No.426

企画展示室4

ふくおか発掘図鑑4

平成26年3月11日(火)~5月25日(日)

鴻臚館を中心として
 古代の迎賓施設であった鴻臚館(こうろかん)。その建物は迎賓施設であることを誇るかのように荘厳な屋根瓦が葺かれていました。しかし、鴻臚館に使用されていた多くの瓦が、どこの窯で焼かれ持ち込まれていたのかはこれまで謎でした。ところが、一昨年西区で発掘された女原(みょうばる)瓦窯が鴻臚館に瓦を供給していた窯であったことが特定されました。決め手になったのは、瓦に残された小さな傷です。瓦は型押しで大量に造られますが、繰り返し型を使用すると破損して傷が生じます。傷のある型を用いて生産された瓦同士には同じ傷が残されます。この傷が女原瓦窯と鴻臚館の瓦とで一致したことから、女原瓦窯が約十一キロも離れた鴻臚館の瓦を生産していた窯であることが判明しました。この調査成果が評価され、女原瓦窯跡は「鴻臚館跡附女原瓦窯跡(こうろかんあとつけたりみょうばるかわらかまあと)」として国史跡に追加指定され保存されることになりました。また、史跡として整備が進められている鴻臚館跡でも確認調査が行われ、新たな成果が得られています。
 鴻臚館が古代の外交施設として整備された一方、国内の暮らしを安定させるための施設として古代官衙(役所・役場)が郡(当時の行政区単位)に設置されました。早良区の有田(ありた)遺跡中央部では、6~8世紀の古代官衙に関わる施設が相次いで発見されています。官衙では税や戸籍の管理などの様々な仕事が行われ、これに関わる建物が配置されていました。第250次調査では6世紀代の三本柱列と8世紀代の建物三棟が発見されました。調査地点は遺跡の中でも見晴らしの良い場所にあるため、施設の中心的な建物であった可能性が考えられています。

博多遺跡は眠らない
 発掘調査の開始から30年以上が経過し、膨大な量の資料や成果が蓄積され続けている博多遺跡群ですが、現在でも調査の度に新しい事実が発見されます。
 中世前半期には日本最初のチャイナタウンである「唐房(とうぼう)」が博多に形成され、宋商人により仏地(ぶっち)・信仰の場として「博多百堂(はかたひゃくどう)」が設けられました。これらが存在していた場所は、押圧波状文瓦(おうあつはじょうもんかわら)という宋風の瓦を手掛かりに検討されていますが、これまでの調査で発見された量では建物全体を葺くことはできず、建物の一部を飾る程度と考えられてきました。御供所町で行われた第194次調査では、これまでの出土総量をはるかに上回る量の押圧波状文瓦が出土しました。軒丸瓦や軒平瓦をはじめ、鬼瓦や鴟尾(しび)なども出土しており、唐房や百堂の地に荘厳な建物が営まれていたことが明らかとなりました。

もの言わぬ証人・飯盛山瓦経
 末法とは、仏の教えがすたれ教義のみが残った時代のことです。中世の日本では1052年を末法元年とする説が信じられ、釈迦の教えを正しく後世に残すために経文を瓦経(がきょう)として埋納しました。
 西区の飯盛山(いいもりやま)山頂から江戸から大正時代にかけて出土した瓦経は永久2(1114)年の願文があり、国内でも九例しかない製作年のわかる貴重な資料です。しかし、出土から90年あまりが経過し、400点以上出土とされる瓦経も全国各地に散逸してしまいました。このような状況を受け福岡市は平成24年3月19日に飯盛山出土瓦経を福岡市指定有形文化財に指定し、保存と活用を図ることとしました。

官兵衛の足跡を巡る・福岡城
 関ヶ原の合戦の功績として筑前一国を所領として与えられた黒田長政は、慶長6(1601)年から黒田孝高(よしたか)(官兵衛(かんべえ)・如水(じょすい))とともに那珂郡警固村福崎に新たな城と城下町を建設しました。7年の歳月をかけ完成した城を「福岡城」と名付け、現在の福岡の礎を築きました。福岡城は築城より400年以上が経ち、これまでに様々な改修や補修が行われてきました。
 福岡市では「国史跡福岡城跡」の保存・整備計画に先立ち、上之橋御門(かみのはしごもん)石垣の大規模な保存修復工事を行っています。長い年月を経た石垣は築石に歪みが見られ、倒壊の恐れが生じていました。これを受けて石垣を解体し積み直す作業が行われることとなり、解体に伴って新たな事実が幾つか判明しました。注目されたのは石垣の裏込めに築石と直交するように石列が配置されていたことです。これは石垣や裏込めを補強すると共に、地震の際には振動を吸収して裏込石の移動を最小限にするという効果があります。このような構造は国内でも福岡城で初めて確認されたもので、城の縄張りの名人であった黒田孝高主導のもと、石垣普請(いしがきふしん)の名手であった野口一成や益田正親により当時の最新技術の一つとして採用されたものと考えられます。
 また、今年度は「武具櫓(ぶぐやぐら)」の復元整備に向けて確認調査が行われました。武具櫓は天守台南側の曲輪(くるわ)に設けられた建物で、戦闘用具の収納庫であると同時に防御施設としての役割も持っていました。調査では建て替えの状況や建物規模を示す証拠が発見されており、これらの成果を活かして復元整備が進められる予定です。
(池田祐司・本田浩二郎・赤坂亨)

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9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
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休館日
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