平成26年5月27日(火)~7月21日(月・祝)
古博多人形・笹野才蔵 |
本展では、当館が所蔵する郷土玩具の中から、福岡県でつくられた土の郷土玩具、土鈴(どれい)・土笛(つちぶえ)・土人形(つちにんぎょう)をご紹介します。
産地、作者ごとに異なる造形のおもしろさを見比べるだけではなく、これらの玩具がうみだされた過程や、生活のなかにどのように位置づけられているのかについても、みていきたいと思います。
1.土人形
(1)信仰・風習と玩具
郷土玩具としての土人形は、江戸時代に子どもの節供祝いに武者人形や雛人形を贈る風習が定着し、土製の節供人形が盛んにつくられるようになったことと深いかかわりがあります。
福岡では、子どもたちの健やかな成長を祈って、男児には武者人形を、女児には雛人形を、それぞれの節供で飾る風習がありました。少なくはなってきましたが、今でも桃の節供に、土製の雛人形を飾っている家庭もあります。節供人形をはじめとする数多くの土人形は、信仰・風習に根ざした玩具として、時代を超えて生活のなかにいきてきました。
いっぽうで、明治以降、外国製の玩具や、大量生産された金属やプラスチック製の玩具が普及しはじめると、土人形は、昔ながらの手作業でつくった「郷土なるもの」を表現する「古き良き日本の玩具」として注目され、収集家により熱心に収集されるようになります。こうした動きは、土人形を信仰や風習といった生活の文脈から切り取り、鑑賞する対象として位置づけるものでした。
こうした郷土玩具としての土人形は、京都の伏見(ふしみ)人形の系譜をひくといわれています。土という入手しやすい素材をもちいた人形は、模倣が容易であったことから、伏見人形を原型にして全国に広がります。それぞれの土地らしさを織り込みながら「郷土の土人形」は、うみだされていきました。
(2)福岡の土人形
郷土玩具の世界では、収集家によって、各地の玩具を項目別にまとめた、玩具事典やガイドブックがつくられました。こうした活動のなかで、あらたに創作された玩具や、いまだ知られざる地域の玩具が紹介され、全国に広まったものもあります。
福岡の土人形については、「博多」「津屋崎(つやざき)」「赤坂」が代表的な産地として数多くの書籍に取りあげられています。
これらの生産地における土人形づくりは、江戸時代の窯業(ようぎょう)の発展とともに、職人たちが、作陶の余技としてはじめたものでした。土人形の製作とあわせて、社寺の授与品や土産物として土鈴や土笛もつくられていきました。
左より、赤坂人形、津屋崎人形、古博多人形 |
○古博多人形(福岡市)
製陶業を営んでいた中ノ子安兵衛(なかのこやすべえ)の次男・吉兵衛(きちべえ)が、文化年間に安兵衛の指導のもと、人形づくりをはじめたといわれています。
近代にはいり、博多の土人形は、美術工芸品としての視線を意識した「博多人形」と、昔ながらの素朴さを継承した「古博多人形」にわかれていくことになります。郷土玩具としての博多人形は後者の古博多人形を指しています。
○津屋崎人形(福津市)
江戸時代、原田卯七(うしち)・半兵衛(はんべえ)親子が、近隣でとれる良質の粘土をいかして、土人形を製作したのがはじまりとされています。
古い博多人形の姿をとどめているといわれ、鮮やかな色づかいと大型の人形を製作しているところに特徴があります。武者人形や社寺の授与品なども数多く製作しています。
○赤坂人形(筑後市)
江戸時代には、久留米藩の御用窯・赤坂焼が、酒器などを製作していたといわれていますが、詳しい歴史はよく分かっていません。赤坂では、かつては節供人形もつくられていたようですが、今では、笛や小型の人形を製作しています。
赤坂人形は、筑後地方に住む男性によって、昭和初期に全国に紹介されたといわれています。素焼きの人形に朱、緑、黄、黒などの顔料で粗(あら)く色付けしているところが特徴です。