平成26年6月17日(火)~8月17日(日)
図3 ローマ字印(史料5) |
第二は、福岡藩船手頭(ふなてがしら)を務めた松本家に伝来した文書群です。松本家は江戸時代の初めに二家に分かれ、次男家の文書群は『福岡県史』近世史料編・福岡藩初期(下)(1982年刊)に翻刻紹介されていましたが、嫡男家の文書はこれまで存在が知られていませんでした。総点数75点のうち、官兵衛の手紙が19通、息子で初代藩主長政の手紙が19通と、両者で半数を占めます。官兵衛の手紙は、大半が筑前入国後の、慶長6年から8年の間に出されたものです。官兵衛が黒田家の船手頭を務める松本勝重(光勝)に対し、軍船の運用に関して指示を出しています。勝重は文禄・慶長の役では黒田家の軍船の惣頭を務め、筑前入国の翌年、慶長6年10月には、官兵衛から宗像郡内で知行400石と代官預かり分207石余を与えられました(図4)。図5~7の手紙には、花押の代わりに、官兵衛のローマ字印(図3)が捺されています。中央のクロスの周囲に「IOSUI SIMEON」と、官兵衛の法名「如水」と洗礼名「シメオン」が刻まれています。
(堀本一繁)
図4 黒田如水知行充行状(史料4) | 図5 黒田如水書状(史料5) |
図6 黒田如水書状(史料6) | 図7 黒田如水書状(史料7) |