平成26年8月5日(火)~10月5日(日)
福岡市西区 元岡G6号墳出土 「大歳庚寅」銘大刀 (福岡市埋蔵文化財センター提供) |
木簡とは
紙がまだ貴重だった時代、人は板状に整形した竹または木に文字を書き付け、情報の伝達手段としていました。これを竹簡・木簡といい、中国で発達し朝鮮半島・日本へ伝わりました。日本では中国と異なり、竹簡は定着せず木簡が主流でした。
三重県多度町(現桑名市)・柚井(ゆい)遺跡(1928年)、秋田県仙北町・払田(ほった)柵跡(1930年)を手始めに、1961年、奈良市・平城宮跡で41点とまとまって出土するようになって以後、出土数が飛躍的に増加しました。古代に限っても、現在全国400ヶ所、総計20万点を優に超えます。
その内容は文献史料とは異なり、改ざん・後付けなどがなく、社会の実相を生々しく語るモノとして、古代史の研究上重要な位置を占めています。
今回の企画展示では福岡市域出土の木簡を中心に、7~9世紀にかけての福岡地域の人びとの暮らし・社会のしくみについて示し、「文字・言葉・情報」と私たちとの関わりについて考えるきっかけにしたいと思います。
古代社会における文字の役割
日本列島における文字すなわち漢字の使用は、弥生時代後期に遡る可能性が考えられます。その根拠のひとつが『後漢書』東夷伝・『三国志』魏書東夷伝にみえる中国王朝との外交記事です。また輸入された中国製銅鏡には銘文があり、ある程度内容を理解できたのではないか。しかしそれを確認する術が現在ありません。
古墳時代に入り、熊本県和水(なごみ)町・江田船山古墳、埼玉県行田市・埼玉稲荷山古墳の例を代表として、刀剣に長文を象嵌(ぞうがん)するようになり、単体の文字ではなく文章として情報を伝達し、意味を理解する段階に至っていることが、考古資料で確認できます。そして文字を通して暦(こよみ)・儒教(じゅきょう)思想など文化を取り入れています。福岡市西区・元岡G6号墳出土鉄刀には「大歳庚寅(たいさいこういん)」年銘の金象嵌が施されており、570年に比定されました(写真1)。日本で中国の元嘉暦(げんかれき)を採用した最古の実物と評価されています。王仁(わに)による『千字文』・『論語』の将来は著名です。
しかしいずれにしても、文字は当時の外交や文化の導入、国家の発展過程などを担った上層階級の人びとによって、支配の手段として握られていたことに注意しなければなりません。
文字の発明は文明の指標ともなるほど、人類に大きな文化発展・飛躍をもたらしましたが、一部の階層のみならず全ての人の共有財産になるまでには、非常に長い時間がかかっているのです。