平成26年8月5日(火)~10月5日(日)
太宰府市 国分松本遺跡出土 「評制」下戸籍木簡 (大宰府市教育委員会提供) |
「管理社会」の誕生 ―律令制国家の確立―
弥生~古墳時代に国家の形成が進み、その完成をみるのが6世紀末~7世紀の飛鳥時代です。隋(ずい)・唐の中国王朝で採用された、法律で国土・人民を統治する律令制の導入です。そこで必要とされるのは、①中央政府の意思が地方の隅々まで貫徹する仕組み、②政府の活動財源としての税の徴収とそれによる人身の支配、③時間の支配です。
まず①として七世紀中葉に「評(こおり)」制が採用されました。『日本書紀』大化改新(645年)の詔(みことのり)には国郡里制の採用が唱(うた)われていますが、それは大宝元(701)年、大宝律令の制定以後のことであり、記事に潤色(じゅんしょく)があることが出土木簡により明らかとなったのです。養老元(717)年には里が郷に変更され、実情に合わせた行政区分の見直しが実施されています。このように行政区分の記載方法により、年号が書かれていなくても、木簡の製作年代がある程度絞り込め、木簡とともに出土した遺物の年代も推定できるという効果があります。
②は租(そ)・庸(よう)・調(ちょう)の三種を軸に年齢別に割り当てられました。税の徴収のためには個人の把握が必要であり、戸籍・計帳という基礎台帳が作成されました。
現在の福岡県域には九国二島を総括し「遠(とお)の朝廷(みかど)」と呼ばれた大宰府、外交使節を接遇する鴻臚館(こうろかん)が設置され、地方支配の重点地域であったことから、こうした税に関わる木簡が出土しています。特に近年太宰府市・国分松本遺跡で出土した戸籍木簡は大宝律令以前、七世紀後半に遡る日本最古級の実例として大変注目されています(写真2)。
③はすなわち暦の作成であり、これによって勤務をはじめ個人の行動を効率的に拘束(こうそく)することです。具注暦(ぐちゅうれき)という、日ごとに吉凶・禍福を記載した暦を中央で作成し、地方の国府へ配布しました。その実物が奈良県明日香村・石神遺跡で出土しています(写真3)。紙版の実物も漆壺の蓋として再利用されていたものが、太宰府市・観世音寺、宮城県多賀城市・多賀城跡、岩手県水沢市・胆沢(いさわ)城跡で出土しています。
こうして行政の仕組みが整備され複雑になると、役所同士の事務連絡や業務命令の書式が定められ、木簡にもそれが見受けられます。勤務評定、休暇届などなど。それは現代の私たちが生きている「管理社会」の原型をみるようです。